漂蕩の自由 (中公文庫)
なんとも心に残る味わい深いエッセイだ。
特に著者の故郷である九州柳川のセピア色の思い出に出て来る、
二人姉妹の話(その姉への恋慕)は秀逸です。
この冒頭の話だけでも値打ちがある。
奇縁まんだら
3月までは土曜、4月からは日曜に日経朝刊に掲載されている作家のエピソード集。
忌憚のない表現がそこかしこに見られるが、それぞれの作家に対する畏敬の念が根底にあり、ある種の清々しさを感じながらそれぞれの作家の本質を垣間見ることができる秀逸なエッセイである。平林たい子に「最後の文士」と言われてうれしく、誇らしく感じたとの下りがあるが、登場する作家は何れも文士である。また、男は美男しか扱っていないところが、らしいところだ。
作家の肖像を描いた横尾忠則の挿絵もすばらしい。
瀬戸内寂聴はマスコミに登場する際に衒いを感じ嫌っていたが、どうも本質を見られていなかった気がする。いくつか作品を読んでみようと思っている。
火宅の人 (上巻) (新潮文庫)
戦前・戦中を生き残り、戦後は無頼派として家族を持ち、新劇女優入江杏子を愛人とし、世界各地を放浪し、自ら素材を求めて貪欲に食を求め、最後は九州の孤島で死を迎えた作家の遺作である。
ある書棚に檀ふみのエッセーと、檀一雄の何冊かの著作が一緒にならべられていた。手にとってみて、自分の人生を私小説として残した父親と、いま・ここでの生活を軽やかに書く才気に溢れた娘の対照的な姿が印象に残った。
長らく、檀は周囲に許された幸せな人だと思っていた。だが、後に沢木耕太郎の『檀』を読んで印象が変わった。私小説をめぐる当事者の複雑な想いを垣間見たからだと思う。入江さんも檀との5年間の日々を書き残している。この作品を起点に、いくつかの人生が交錯している。
PS.やっぱり檀一雄はカッコいいっす。
檀流クッキング (中公文庫BIBLIO)
もともと昭和44-46年にかけて、産経新聞に連載されたコラム。その全94回分を1975年に文庫にまとめたのが本書。ただし、写真が割愛されている。
料理書の古典的名著とされる一冊。日本と世界の各地で食べ歩いた料理を紹介するものだが、並の料理本とは違う。まず、著者の人間性が伝わってくる。また、料理はこうあるべしという思想がある。それも、高尚だったり難解だったりするものではなく、簡単で安いのに無視されがちな食材を使おうとするものなのである。そのため、内臓の料理が多く取り上げられている。また、鮭の氷頭なども。それらを通して、料理というのは「美味しく食べるための娯楽なんだ」ということを教えてくれる。
親しみの持てる料理書だった。
美味放浪記 (中公文庫BIBLIO)
350頁の文庫本を4:6の割合で前半を日本篇、後半を海外篇にわけて、壇さんが味わった料理、自ら腕を振るった食材について書いている。
それにしても、この本が書かれた昭和40年代にはキムチはまだ日本では一般的ではなかったようだし、上海蟹なんかも知られていなかったようだ(もちろん壇さんは、それが日本にも生息するモクゾ蟹であることは知っているが)。ぼくたちの食生活、食材というのは高度成長期とバブル期に、どれほど豊かになったのか、と改めて感じた。
しかし、まだ檀さんの贔屓にしていたスペイン(と一口にはとても言えないのだが)とポルトガル料理に関しては、まだぼくも食べたこともないような田舎料理を紹介しているのは素晴らしいと思う。ポルトガルに関しては「初鰹をサカナに飲む銘酒・ダン」という章がある。七輪に炭火をおこして焼鰯でぶどう酒をあおる、というのがいい。その章で壇さんが特に気に入ったと書いていたのは「ゴジドー・ポルトゲーゼ」、つまりポルトガル煮。血を吸う蝿に悩まされながらも「酒ならダン」と口走っていた、と書いている。
後はペトルーシカ(петрушка=コリアンダー、中国パセリ、イタリアンパセリ)をたっぷり揉み添えた羊肉のバーベキューの話@ソ連は『わが百味真髄』でも書いているけど、何回、読んでも旨そうだ。
あと、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」とこの薬味とは関係があるのだろうか?いろいろ妄想が膨らむ。ソ連(もうないんだよな)の旅行記で面白かったのは、女医さんたちとシベリア鉄道でコンパートメントを一緒にして、飲みかつ喰いまくる場面。女医さんたちとはドイツ語で語り合ったそうな。なかなかやるなぁ。
とにかく、そんじょそこらのグルメ本を何冊集めたって、檀さんの本一冊のスケールにはかなわないと思う。