食品の放射能汚染 完全対策マニュアル (別冊宝島) (別冊宝島 1807 スタディー)
ほんとうに放射能や、家族全員で、読んでほしいです。一家に一冊必要な本です。
人類の生き物は、すべて汚染されるのでは?と思います。恐ろしい現実の良くわかる本です。
暴走する原発 チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと
3月の震災から3カ月経った今、原発に関して、大手メディアは何かしらのフィルターを掛けられたかのような報道しか成していません。
このような隠ぺいされた報道の中で、本当の怖さを知らずに隠れた被害を被る者、怖さを忘れてしまう者、多くいると思います。
本当の事を知る権利も奪われた中、筆者のように体を使って現場を知り、それを「知らない」人に伝える・・・。素晴らしい事だと思います。
チェルノブイリの事故後、被災各国の対応は様々な物でしたが、日本は当時の各国よりも遅く、悪い対応を行っているのではないでしょうか。
放射能の被害を極力避けることができるよう、政治家の方々には是非この本を読んでもらいたい。と思わせる一冊です。
チェルノブイリの時よりも、現在は多くの情報を容易に手に入れることができる時代です。
包み隠さず、広がってしまった放射能とうまく付き合っていかなければなりません。
放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか
反原発・脱原発の本がずらりと並んだ中にひっそりと置かれた本書。『放射能と理性』というタイトルにひかれて手に取った。今こそ理性が必要なのに、なぜ人は放射能と聞くと理性的でいられないのか。
「初めに厳しい規制をかけておいて、あとから「安全です、心配しないでください」といくら言っても、一般大衆は聞く耳を持ってはくれない。」(p.146)
この言葉は今の日本の状況をよく表している。放射線について、健康への影響と放射線量の関係が線形(直線)であると仮定する"閾値なし直線"(LNT)モデルを採用して、基本的にゼロリスクで管理してきたツケがまわってきたのである。
この状況を打開するには、著者がデータをもとに説明しているように、
(1)現在の規制基準はLNTモデルを仮定して、安全側で設定したものであること
(2)疫学上、線量100ミリシーベルト未満で癌のリスクが上昇する証拠はないこと
を国と科学者のコミュニティが協力して国民に説明するしかないのだろう。必要なのは理性的な議論である。
福島原発の事故の後、自分でいろいろ調べてみたという方にも本書は有益ではないかと思う。私自身は、核分裂と放射性崩壊の違いについて頭の整理ができた。また、劣化ウランというのは何となくダーティーなものを想像していたが、実際にはウラン235を濃縮して取り出した後のものであり、放射能は天然ウランよりも低いことなど、本書を読んでいくつかの新しい発見もあった。
本書を読み終えた時、巻末の言葉をどう受け取るかは読者次第である。
「健康福祉に対する最大の脅威の源は、放射線というよりも、恐怖と不確実性と強制移住である。」(p.267)
ひとり舞台 脱原発-闘う役者の真実-
山本太郎さんの写真が一杯で、とても輝いて見えます。
ラジオ番組一つ残して、TVの仕事を全て失っても、
彼は脱原発を貫きました。
講演会に呼ばれても講演費はお人様300円のみだなんて、
優し過ぎて涙が出ます。
彼の後に続いて、恐る恐る脱原発を表明した芸能人もいるけど
一番最初の一番風当たりが強い時期に一人脱原発の立場を貫いた
太郎さんは、どんなイケメンより凛々しく男らしくかっこいいです!!
脱原発を達成する為に、私も勇気を出して声を出していきたい。
例え周りが私を奇異な目で見ても、友人が離れても、
太郎さんの後に続いていきたいと思いました。
太郎さんの生い立ちにも触れてあり、
ご両親の教育方針は「どこまでも生きていける子」
であったことにも感銘を受けました。
ディスカバリーチャンネル ZERO HOUR:チェルノブイリ原発事故 [DVD]
戦後日本で最悪の事故である「東京電力福島第一原子力発電所事故」から半年が経った。
しかしながら、「いつ」、「誰が」、「どのような」意思決定をしたのか、
国民は責任の所在を知らされないままである。
もちろん、本当の責任の所在、誤りの原点がどこにあったのかは国民は理解している。
しかし、マスコミが政府および電力会社の内部を真剣に検証し、責任を追及しようとはしないのである。
本来であれば、意志決定におけるプロセスで誰がどのような発言をして、
誰がどのようなミスをしたのかについて真剣に責任を追及するのがマスコミの社会的役割だろうと考えるが、
この「ディスカバリーチャンネル」のように、意思決定における各人の動きを見ようとは
日本のマスコミは考えないようである。
そういう点で、この「チェルノブイリ原発事故」のドキュメンタリは日本人にとって重要なサンプルになるだろう。
もちろん、チェルノブイリと福島は全く異なる事例ではある。
しかし、人為的なミスが長きに渡り人々を苦しめる結果となったのは同じであり、
このように内部の人間の動きの検証がなければ、本当に日本は没落してしまうと危惧する。