ジキル&ハイド
色んなジキルとハイドを観てきたが、新しいストーリーという感じ。メイド(ジュリア・ロバーツ)が主役級なのも新鮮だったし、ジキルとハイドが特殊メイクなし、というのも新鮮だった。今までのジキルとハイドは外見でどっちがジキルでどっちがハイドかというのを明確に分けていたが、今回はマルコヴィッチの演技力と観る側の少しの努力で(私はあまり努力しなかったけど)マルコヴィッチが見事に演じ分けている。今までの映画と一番に違う点はジキルの内面に迫ったところだろうと思う。昔風に撮っているけどやはり今は21世紀なので古臭くない昔風という感じ。一番驚いたのはハイドがジキルに戻る瞬間でうぉ?!これは今じゃないと撮れなかっただろうその変身振りが、なるほど~。そんなところから・・面白かったデス。
ジキル博士とハイド氏 (ユニバーサル・セレクション2008年第5弾) 【初回生産限定】 [DVD]
1932年と1941年の二つの作品が楽しめる。両方とも白黒で今から見ると9年の違いにかかわらずどっちもかなり古い映像なのだけれど、見比べる面白さはある。
基本的なストーリーは、ちょっと変わった科学者が、人間の悪の部分を強調させてしまう薬を開発。悪の部分を出現させるだけでなく、見た目もぜんぜん変わってしまう。
若いロンドン紳士と美しいレディの平和な結婚話から始まって事態はどんどんとエスカレートしていき、最後のアクションと悲劇へと展開していくという非常に見世物的要素の強い映画。当時の女性観客がまゆをひそめながら驚きの声をあげる様子が想像できる。
紳士としてのしがらみに抑圧され、たまにはあばずれ女とはめをはずしたいという気持ちが背景にあり、これの映画を見ている一般庶民は、「紳士ってやつも退屈だ。一般庶民が気楽でいいや」とさぞかし思ったことだろう。そんなところにこの作品の人気の秘密があるのかもしれない。
さて、僕がこの映画を見た理由は、ほかでもないイングリッド・バーグマンが汚れ役をやっているからである。裸にされ、馬車の馬にされて、鞭うたれるという(想像のシーンだけだが)、とんでもない役だ。ところが、彼女は、あばずれ女を演じるには品がよすぎたようで、32年の作品の女優のほうが役としてははまっている。
比較の話でいうと、ハイド氏も32年のほうが、猿の化け物のようでコワ面白い。41年のハイドは特に見た感じ化け物という感じはない。
知られざる「吉田松陰伝」-『宝島』のスティ-ヴンスンがなぜ? (祥伝社新書173)
渡部昇一氏の著書「まさしく歴史は繰り返す」の中で、”高橋是清が日露戦争のための公債の引き受け手を探した時、半分を引き受けてくれることになったユダヤ人資本家シフはスティーブンソン作の吉田松陰伝を読んだことがあり、日本に強い関心を持っていた”という記述を読みました。その時、外国のインテリの知性の高さに驚いた記憶があります。まさかジェイコブ・シフ(日露戦争関連の書物ではよく登場します)も当時読んだスティーブンソン作の吉田松陰伝の全訳が今日読めるとは想像もしませんでした。訳された吉田松陰伝の部分は短いですが、著名な小説家のスティーブンソンがなぜ吉田松陰の自伝を書いたのかについて(それも日本で書かれた吉田松陰の伝記より早いという)、その経緯を詳細に調べており大変興味深かったです。松陰ファンとしては嬉しい著書です。
ジーキル博士とハイド氏 (岩波文庫)
「ジーキル博士とハイド氏」という言葉が、二重人格を表す言葉として辞書に載っていることだけを挙げても、この作品が後世に与えた影響の大きさがわかるのだが、どうも作品を語る上で、この二重人格という言葉が一人歩きしているような気がしてならない。
内面に邪悪な心を抱える人格者のジーキル博士は「自らの意志で」あるクスリを飲みハイド氏に変身するのである。単なる二重人格者とはいえないだろう。
もっとも、この作品が発表された当時の医学には多重人格という定義もなく、「自らの意志」でハイド氏に変身するというのは、やむを得ない設定だったのかもしれないが、結果的に、この設定があるから「善」と「悪」という一人の人間の持つ二面性が鋭く抉り出されることになったのではなかろうか。
物語自体は単純で約100ページと短いが内容は非常に濃い。そして「二重人格」という言葉だけで語られる作品ではない。
しかし、「二重人格」という言葉があまりにも有名すぎるため、いわゆる「怪奇小説」としてのインパクトはあまりない。有名すぎるが故の不幸か…
ジキル博士とハイド氏 [DVD]
とにかくこの有名な書籍の映画化第一号は、1930年代の作品となる。特撮とかそういうものに関しては流石に古臭い。
しかしね、程よい緊張感があってよかったと思います。話の内容はとっぴなんですけど、こういう形で人間の二面性に迫るというのは、実は非常に面白いんじゃないかと思います。原作書いた方すごいですね。
実際に変身する、あるいは変態する作品というのは大いに人間の二面性、明と暗を深くえぐるように出来ているのでしょう。
すこしダレた状態で視聴しましたが、ラスト15分の緊迫感、あるいは緊張感は本物の名画の迫力なのだろうと思います。