楢山節考 [DVD]
83年度カンヌ映画祭でパルムドール。
現代日本映画の様なウソ臭さはまるでなく、リアルな古代日本が描かれており
演技、台詞、生活背景、ロケ地や小道具、すべてにおいて優秀で、
なおかつ登場人物の心理描写も優れています。
ラスト30分の展開は釘付け。
脚本だけで無く、演技や映像美も兼ね備え、
それでいて「観る者を楽しませる」エンターティメン性も兼ね備える、
黒澤・溝口・小津らと並べても何ら遜色の無い素晴らしい映画。
われわ日本人から観ると「普通」に見える「うなぎ」が
カンヌを取ったことは、正直微妙な感じがするが、
楢山は本物。映画ファンは必見。
楢山節考 [DVD]
深沢七郎原作の『楢山節考』に同じ著者の『東北の神武たち』を取り入れたところが、映画『楢山節考』の成功した理由の一つであることは間違いない。助平のない今村昌平は考えられないし、これによりテーマが明確になったのではないか。
倍賞美津子は別にして、清川虹子を裸にしてしまうのもすごいが、坂本スミ子に実際に前歯を抜かせたというところが、監督の映画に対する、おりん婆さん以上の鬼気迫る執念を感じさせる。左とん平の演技も見事だった。
今村監督は「総じて人間とは何と面白いものか」をこの映画で如実に物語ってくれたが、私が最も「何と面白いものか」と感じたのは、やはり監督自身であった。
楢山節考 (新潮文庫)
●前に読んだときは「楢山節考」を,年寄りを捨てる話として読んだのだった。
●二十数年経った今,自分がいい年になったこともあるのだろうか,この話は年寄りを捨てる話ではないということに,気づいたのだった。
●小説に,固定的なメッセージや意味を読み取ることは,読み取られない事柄を犠牲にすることなのだということを,改めて考えた。
●なぜ深沢七郎は楢山節「考」というタイトルをつけたのだろうか。
●本書収載の「月のアペニン山」も,作家独特のすごみがあって,怖い。
楢山節考 [DVD]
ご存じ姥捨て伝説を描いた木下監督の傑作。
老いてなお丈夫な歯を恥じ自ら歯を砕くおりん、
年に1度の白米をむさぼり食う人々、
降り積もる雪のなか地蔵のような姿で死をまつ姿など、
一生頭を離れないであろう場面がいくつもあった。
すべてセットで撮影されたという映像は
日本人の原風景を思わせる美しさに満ち、
始終かぶせられる三味線の音が哀しみをかきたてる。
その出来映えに驚いた。
もはやこれだけ手間暇かけて悲惨な姿を描く映画は
創られることがないのではなかろうか。
不朽の名作である。
現代思想2011年11月臨時増刊号 総特集=宮本常一 生活へのまなざし
今回の3.11震災は、直接被災しなくても
2万人以上の犠牲者を出した津波の映像をリアルタイムで見て、目には見えない放射線被爆の報道がもう7ヶ月以上続いているという面では、これもまた人類未体験の被災の拡大と言えるのかもしれない。
最近、町の本屋をのぞくと宗教関係の特集をした書籍が増えていることに気づく。
親鸞の特集や五木寛之さんの他力思想のエッセイ集など、末法思想や大きな自然災害の後に力を持った宗教で、彼らの思想に惹かれるのは、自然なのかもしれない。
そんな中この(宮本常一)の特集本がそれらと並んで積み重ねられていた。「旅する巨人」に祈りに似た気持ちで多くの人が何かを求めている。震災後の中央政府の混乱ぶりや仮設住宅でとうとう冬を越すことになる現状などを見るほどに、「忘れられた日本人」の世界にある互助の思想や、農村共同体のような誇り高き地方自治で、失われた日本を今こそ復興すべし、と感じた。
しかし、この本を読むとそれがいかに安直な発想であるか思い知らされた。柳田国男や折口信夫と違い、戦後間もない頃から同時代に向けた発言をしてきた民俗学者であった宮本は、グリーンツーリズムの実践や、離島に資本が蓄積される方法について必死になって考えた最初の民俗学者であり、同時に多くの挫折を体験した周防大島の農民でもあった。社会構造の変化はあまりに早かった。特効薬は巨人をしても見つけられていない。希望は、宮本常一が常に若者に対して分け隔てなく接し、情熱的に励まし、接していた人々(宮本常一のまいた種)、その余熱がまだこの国のあちらこちらに残っている事かもしれない。簡単ではない、でも、宮本常一を博物館に入れてはならないと、強く思う。