思考の整理学 (ちくま文庫)
20年以上も前に書かれた本なのに内容が全く色褪せていない
ことに驚きを感じる。最近のビジネス本で見た内容もちらほら
見かける。
本読んだらすぐにまとめの文章を書くこと、
これはレビューをやっている自分にとってとても耳が痛い。
本を読んだ後にしばらく時間が経ってしまうと、なんとも内容の薄い
レビューが書きあがるもの。。。
また、本当に大切なことはメモをしない。メモをしたら面白いことでも
不思議に忘れてしまう。という点、確かに携帯のメモ帳などでもそうだが
メモに頼りすぎて自分の頭を使うということを怠けているなあ、実感。
早速来年から実践してみよう。
本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)
「床下の小人たち」(「借りぐらしのアリエッティ」原作)、「ゲド戦記」を含む岩波少年文庫の中から50冊を推奨する前半と、本や時代について考察する後半が合わさっている本です。後半の著者のお父様の関東大震災経験から、3.11以降を「終わりの始まり」「風が吹き始めた時代」とする考察は、他に見ない程の秀逸なものでした。お奨めの本です。
小生の印象に残った点は以下です。
・関東大震災から転がり落ちていった戦前の日本と、3.11以降の日本は近い。
「風が吹き始めた時代」の風とは、さわやかな風ではなく、おそろしく轟々と吹き抜ける風。死をはらみ、毒を含む風。人生を根こそぎにしようという風。これから惨憺たることが次々と起こっていく。原発を再稼働させようと躍起になっている、現実を見ない日本の風土では、またもや本当の焦土になる。
・今までのように、一本一本良心的/意欲的なアニメーションを創れる良き時代は終わった。戦前のように、そういう作品は机の抽斗に隠さなければならないかもという覚悟が必要になってきた。
・本を読む少年が、次のファンタジーを創る。
さすが岩波書店と思わせる、的確な時代分析に、「そのとおり!」と思いました。ただし、焦土になって改めても、また数十年後に「クウキ」(conformity/協調性)が復活して焦土になるのが日本風土の力の恐ろしい所です。次の世代に期待するだけではなく、大人が連携して、謀叛(Innovation)を企てていくことが大事だと思います。
ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)
古来より多くの仏教者が原典を求めてインドへ向かった。それは手垢がついて拡大解釈され、曲解された教えに疑問をもち、原典を読むことによって真実、釈尊の教えを知ろうとしたかったからだ。
その意味では原典を直接邦訳したこの本はその肉体的旅路を省いてくれる。三蔵法師が命を賭けて探した原典を私達は簡単に手に入れることができる。
「量子論」を楽しむ本―ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる! (PHP文庫)
見えない世界をひたすら思考実験と数学で言語化する試みに、なんて多くの人がかかわってきたのだろう。その膨大な労力と思考力には凡人としては脱帽するばかりだ。
姉妹本「相対性理論を楽しむ本」を読んだので、こちらも読んでみた。だけど、これはもう、「量子論を楽しむ」どころじゃなくて、頭の中の使ってない細胞がぐるぐるぐるかき回されて、もうわけがワカリマシェーン状態。そして著者はしれっと最後に言うのだ、「わからなくてもフシギじゃない」んだって。量子論は未完成だからなんだって。
相対性理論はまだ、なんとなくイメージできたのだが、量子の世界はそれすら拒絶する。「だるまさんが転んだ」で振り向くと後ろにいた友達が、目を閉じている間に姿を消してなんらかの波になってしまうとか(それが量子世界には普通にあることなんだと言われても)、真空では絶えず生まれては消し合う電子と反電子が、今この瞬間にもその営みを繰り返しているのらしいとか、まったく想像を絶するばかり。今も謎だらけのモノらしいのだ、量子の世界ってやつは。天の邪鬼としては、そう聞けばますます知りたくなってしまうではないか。求む、量子論を解決する天才。