教育の方法 (放送大学叢書)
学校という言葉の意味が変化してした現在、改めて学校という組織を見直す必要がある。今までの学校とは、企業化された学校といってよいだろう。数十人もの子供たちが規則正しく並べられた机といすにその小さな体を並べ、誰もが同じ教材を使い、同じ情報を大人が一斉に伝える。より正確に、かつ多くの情報を短期間のうちに学習させる事が最優先されてきた。学びの効率化が優先さえてきたのだ。これではまるで子供たちが製品化されているようではないか。私たちはこういった状況を深く知る必要がある。そして、脱企業化した学校を目指さなければならない。学校は変化の過渡期にある。
教師花伝書
本書より、熟練の技術を持っていても常に学び続ける教師と評論だけして自ら学ぼうとしない教師がおり指導の格差があることが分かった。各章には著者が毎年500ほどの授業参観をし特に目につく授業内容や風景が紹介されている。
また教育現場の人間が本を読まなくなったり、美術館などをまわらなくなっているのではなかという投げかけをされていた。確かに常に教育現場の人間は学ぶ姿勢がないといけないと思います。教育現場で働いている方は大変参考になる1冊でしょう。
「学び」から逃走する子どもたち (岩波ブックレット)
本書の初版は2000年であり、いわゆる「ゆとり教育」が間もなく
実施されようとしている時であり、(今もそうであるが)学級崩壊
や少年犯罪等の教育問題が声高に指摘されていた時である。
本書では、もちろん学級崩壊や少年犯罪の根の深さは問題であると
しながらも、最も深刻な教育問題は、子どもたちが「学びから逃走
している」ことであると鋭く指摘し、この問題について考察を進め、
今後教育がとるべき方向性についても提唱している。
著者の、かつての「世界一勤勉な日本人学生」というイメージは幻想
にすぎず、家庭での勉強時間は世界的に見ても最も少ない部類に入る
という、データを踏まえての指摘は、当時の教育界にインパクトを与えた。
なぜなら、当時は、受験勉強や詰め込み学習で「いっぱいいっぱい」
になっている子どもたちを救うことを一つの目的として「ゆとり教育」
が開始されようとしていて、著者の指摘はその教育方針の逆を行く
指摘であったからである。
しかし、実際に結果も出せず、その目的がほとんど機能しなかった
「ゆとり教育」が短命に終わろうとしている現在読むと(読むからこそ
余計に)、著者のこの指摘の鋭さに称賛の意を表さずにはいられない。
本書では、こういった問題点を指摘するだけでなく、今後はクラス人
数を減らし、協同的な学習を推進するという方向性も提唱している
点でも意義が大きい。
著者の一連の主張は、世界的な教育事情を踏まえ、データを示しながら
なされ、現在読んでも得るものは非常に大きい。特に、教育行政に
関わっている方にこそ読んでいただきたい本である。
学力を問い直す―学びのカリキュラムへ (岩波ブックレット)
同著者の『「学び」から逃走する子どもたち』を読んだすぐあとに読みました。
前著では、著者の言う「圧縮された近代化の終焉」と勉強から逃走する子どもたちとの関係がいまいちわかりにくく感じました。
しかし本書では、その部分について学力価値を「貨幣価値」になぞらえることにより、詳しくそしてわかりやすく解説しています。
私のように前著だけではよく理解できなかった方は、この解説部分だけでも読む価値があると思います。
『「学び」から逃走する子どもたち』とあわせてお勧めいたします。
専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える
本書は全訳ではないので、前のレビューにもあるとおり、読みにくい面もあるのですが、はじめて読む人にとっては得るものが多いと思います。一般に、専門性や専門知識というと、一定のディシプリンの体系を習得することであり、実際、弁護士や医師などはそのための専門的な訓練を受けています。しかしながら、実践的な活動をするワーカーやプランナーなどは、むしろ現場からの相互作用を体系化し、縦割りを超えた知の体系を創造することが求められます。それは、いままでは実践家の経験則として認識されていたと思われますが、本書は、そうした現場からの学びこそが重要だと指摘してます。
これから学部で勉強しようとする大学1年生にぜひ読んでもらいたいと感じました。