時代の風音 (朝日文芸文庫)
専門分野の異なる3名による対談のため、各人の得意ジャンルにおける深い作品性や重さを期待すると喰い足りない感じがするのは否めない。特に宮崎氏は畑の違いからか年輪の差か進行役的立場からかやや影が薄い。ただ、逆に分野の違いから導かれる切り口の面白さや溜飲の下がる部分も多く、広範な話題や発言の端々にそれぞれの社会観・歴史観のようなものも見え隠れする。3名の肯定的(共感的?)・かつ思い入れの強すぎない読者・視聴者向け。他の著作の間に一冊この本もあると番外編的に楽しめる。サクサク読めてしまうテンポは単純に歴史文化系放談風読み物として見てもいいような気もするが、やはりヨソとはサイズがひとつちがうスケールがどことなくにじむ。個人的には、司馬氏のエッセイ作品の読者層あたりがなじみやすい内容な気が。文庫で読む分には充分なコストパフォーマンスかと。
方丈記私記 (ちくま文庫)
私がこの本を買ったのは、堀田善衛さんが、方丈記の終わり近くにある、「汝、姿は聖にて、心は濁りに染めり。栖は、即ち、浄名居士の跡を汚せりといへども、保つところは、僅かに、周梨般特が行いにだに及ばず。」をどう感じたかを知りたいためであった。予想に反してこの鴨長明の言葉には、ほとんど紙数が割かれていない。ただ、「最後の拠りどころである筈の仏教までが蹴飛ばされてしまった」とだけ堀田さんは書いている。鴨長明は自分の未熟さを言ってたのだと思うが、堀田さんはそれを、仏教の限界、あるいは仏教を修行して何とかなろうという人の限界ととらえているのだろう。さらに、堀田さんにとって隠者がちっとも悟ってなんかいないのもわかりきったことなのかもしれない。
ということで、私にとっては、少々意外な本だったが、鴨長明と藤原定家の歌に関する解説は面白かった。
インドで考えたこと (岩波新書)
英語で話して英語は通じるが、その人の意思は100パーセント他者に通じるわけではない、
との堀田さんの言葉が印象深かったです。
国際化が進む中で我々が意識しなければいけないことだと思いました。
日本合唱曲全集「岬の墓」團伊玖磨作品集
多くの曲を残した團伊玖磨ですが、合唱作品においても後世に残る曲を創りました。このCDでは、『岬の墓』『筑後川』『海上の道』という彼の代表的な合唱曲を1枚にまとめています。以前は本当によく演奏されましたが、最近ではその機会が少なくなり合唱愛好家としては残念な思いがします。もっとも今でもこれらを購入できるのは嬉しい訳ですが。
いずれも骨太の演奏です。現代の合唱技術からみれば、譜面も比較的簡単に感じるでしょう。音楽の骨格がしっかりとしていますので、歌いこめば歌いこむほど味わいが深まる曲群です。團伊玖磨はオーケストラ曲を中心とした多くの作品を残しています。収録の3作品に共通しているのは交響曲のような大きな音楽構成を持っているところでしょうか。ピアノの譜面を見ますとそのスケール感が良く感じられると思います。
『筑後川』での丸山豊の詞は雄大です。筑後川と流域の雄大な景観を描写しながら、人生の歩みを象徴しているような深い味わいが感じられます。「みなかみ」「ダムにて」「銀の魚」「川の祭」「河口」の5曲で構成されており、最終曲「河口」は特に雄大さが感じられる名曲でしょう。聴くよりも歌うに限る曲で、中学生や高校生の合唱コンクールの曲としても広く歌われています。このCDの演奏団体の久留米音協合唱団の委嘱により1968年(昭和43)12月に完成しました。それと同時に、作曲者自身の指揮により初演されています。
音源としても貴重ですし、團伊玖磨という偉大な作曲家の残した合唱曲を知ってもらうためにもよいカップリングでしょう。