ハシズム!─橋下維新を「当選会見」から読み解く
それでも本書は、なぜ、著者らの陣営が「大阪維新の会」に完敗したのか? 好く解るような書籍になっている。
要するに相変わらず、「プチブル(中間層市民のこと)やルンペンプロレタリア(労組に組織されない労働者)が、デマゴーク(扇動者)のアジテーションに騙されやがって」という解釈か、せいぜい「メディアを取り込んだ選挙戦術にしてやられた」くらいの分析から一歩も出ていないというわけだ。
ちょうど60年安保のあと、池田内閣の打出した「所得倍増」路線や、江田三郎日本社会党書記長の「構造改革」路線に対して、アンチ(反対)を打ち出した社会党・社会主義協会派的の原理主義であり、そのまま50年間、おつむの中身が化石のようにカチカチに固まったまま今日に至っているという次第。
こんどの選挙では、完全に「維新の会」に白か黒かの二者択一的論理を逆手に取られたうえ、「維新の会」を押上げたものは何か? という市民社会の底流というものを、本書のコメンテーターらがサッパリ理解できてないことを、本書は今更ながらのように暴露するものでしかないといえる。
たしかに「維新の会」には「まともな経済政策がない」という本書「中島岳志」氏の指摘は正鵠を射ている。今回「維新の会」を支持した市民の多くが期待する大阪経済の活性化など、およそ本質を外した「維新の会」の新自由主義的の二番煎じのような制度改革論的発想では、どうにもならないだろうとは間違いなくいえる。
だが、しかし、それでも、市交通局の改革は、だれが市長になっても急務だし、だいたい「公務員」は、現業の連中はともかくとして、事務方職員や学校の教職などはホワイトカラー俸給生活者であっても、「労働者」という範疇には当たらず、もしも本当にブルーカラーなら、「同一労働同一賃金制」を追求すべきところ、軍隊の階級制度に倣った職階制や年功序列型賃金、植民地持ち帰りの公務員宿舎制度などの余慶に預り、大阪市民を踏付けにしてきた公務員=企業内労組員的が、みずからを「労働者」と詐称するなど片腹痛いというほかはない。
戦後型政治体制のもとで得た官僚特権に胡坐をかき、市民社会の変化に対応することを怠ってきた結果の敗北というほかはなく、公務員労組メンバーは、まず、みずからを市民社会の一員と規定し直すところからラディカル(根底的)に再出発することなしに、本書コメンテーターらの維新の会批判が、大阪市民の共感や支持を得ることなど絶対に有得ないと知るべきではないか。
追伸.)日本の労働組合は企業内労組という、世界的に見て、きわめて特異例外的な組織形態を持つ存在だという事実を、まず自覚すべきが前提だろう。
労働組合とは、事業所で働く賃金労働者に、職場での労働条件改善や豊かな消費生活を提供するサービス事業を行う組織体にほかならない。だから米国の労働組合は自前で健康保険や年金を手掛けているし、英国なら+プラス消費生活協同組合、独仏の労組ともなると労働者向けの賃貸住宅まで経営したりすることになる(以前、日本海員組合が組合員向けに賃貸住宅を経営していたが、いまはどうなっているんだろうか?)。
ところが日本の労働組合はどうか。
旧ソ連の労組そっくりで、事業経営者と一体になった(相互監視的)労働者管理を組合の業務と心得ているようなもの。
まるで学校の「生徒会」のように他者の所有にかかる事業所内に組合の拠点を置き、経営側から俸給を得つつ専ら組合活動に従事する「在籍専従」など、世間さまに顔向けできない恥ずかしい行為だと思う感覚すら麻痺させているのが実情。そんなのは権利ではなく、裏金作りにも等しい公金横領行為にほかならないと知るべきではないか。
日本の労働組合は、まず企業内組合たるを脱し、各事業所を横断した産業別組合に改組することが前提的に必要ということ。
リアルタイムメディアが動かす社会: 市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平
ほぼすべての講義を直接受けた学生です。
保存用として購入しました。
このような講義を直接受けることができて幸せだと感じました。
「今」受けるべき講義だと思います。
なお今年も開講されるらしいので潜ってみるつもりです。
ラテンに学ぶ幸せな生き方 (講談社プラスアルファ新書)
この本の帯を最初に見たとき、格差社会を肯定しているみたいでちょっと引いたが、読んでみるとかなり違う内容だった。
要するに、格差社会や貧困の中でも、人間的な繋がりを保つことによって、建設的に生きているラテンアメリカの人々の現状と、一方で、自殺率の異常に高い日本の状況を、その目からウロコ的な原因を呈示し、(すぐに実現可能かどうかは別として)ラテン的見地からの提言をしている。
自分自身、とても閉塞感を感じる日々だったので、とても参考になったし、日本人にとってぜひ読むべき一冊だと思う。