ライヴ・フロム・ザルツブルク [DVD]
初来日で話題を呼んだ、DUDAMELとベネズエラのユースオーケストラのザルツブルグ音楽祭ライブです。曲目はBEETHOVEN「TRIPLE CONCERTO」MUSSORGSKY「展覧会の絵」他です。ベートーベンではアルゲリッチを司令塔にした、まるでジャズのセッションのように伸びやかで快活、エネルギーに満ちた演奏を聴かせてくれます。ムソルグスキーではそれぞれの絵画が目に浮かぶような自由で独特の表現に満ちています。オーケストラがうねり、指揮者と共鳴し、音楽する喜びが聴き手に伝わり、涙が出ました。ベネズエラの教育プログラムと、日本の音楽教育の違いにも考えさせられました。とにかくすばらしいです。今度、来日したときには、絶対に行きます。
ストラヴィンスキー:バレエ「春の祭典」
このCDを買う前に、クラッシック初心者の私に
「1回試聴したほうがいいよ。」
「ストラヴィンスキーはむずかしいよ。」
と色々と忠告がはいりました。
でも、待ちに待ったドゥダメルの新譜だし、
難しいかもしれないけど、ドゥダメルなら!と購入しました。
そして、初めてきいた感想は
「試聴すればよかった・・・」
「調子にのって、こんなのに手をだしてしまった・・・」と後悔だけでした。
しばらく聴かずにいましたが、
時間があるときに、少しづつ聴いていくうちに
突然魅力が分かりました!
やっぱりドゥダメル信じてよかった!!
また世界が広がりました。
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」&第7番
ほとんど何の知識もなく、このCD(第7番)を聴いて、
(まるで完璧な技術を持った学生オーケストラが演奏しているようだ)
と思った。
天下のドイツグラムフォンから出ている、メジャータイトルなのだから、
まさか学生が演奏しているとは考えなかった。
しかし、あとで調べると、実際に南米ヴェネゼーラの
「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ヴェネゼーラ(SBYO)」
という25歳以下の青年たちで結成された交響楽団が演奏していた。
オーケストラの音色は澄明で、各部の輪郭はくっきりとし、旋律もよく歌う。
この曲が持つ躍動感が、演奏者たちの若さによって自然に表現されていく。
大家や巨匠の場合、往々にして、その名前(彼ら自身の自尊心その他)のために
演奏は力が入ったものになり、特別な何かはそこにあるが、
音楽そのものが鳴り響くような感動は相対的に薄くなる(必然的に演奏者が前に出る)。
しかしSBYOの場合、背負っている名前などない。
彼らはひたすら一心に音楽の中に入り、一体化する。
ベートーベンのリズム讃歌のような、ドュオニソス的スコアーがそのまま鳴り響く。
管楽器の咆哮も、打楽器の連打も、ベートーベン音楽が時に持つ、押しつけがましさやしつこさを
感じさせることなく、演奏者たちの若いエネルギーが自然に発散され、疾走する。
むしろ彼らの若いエネルギーが楽曲を追い越していくようなスピード感が現れる。
では有名な第2楽章はどうなるのか。
ドゥダメル+SBYOの緩徐楽章には、深い憂愁や、徒労感がにじむ。
生きることの苦しさ。その中に指す希望や歓びが、音の中から立ち上がる。
どうしてそうした演奏になるのか。
彼らが音楽のエリート教育の中から出てきた人々ではなく、ヴェネゼーラの貧民街の中で音楽と出会い、
育ってきたという背景があるからだ。指揮者ドゥダメルもその歩みをたどっている。
楽団員のほとんどが、プロフェッショナルなエリート教育の中から出てきた人々ではない。
困難な生活の現場である街やストリートと、彼らの音楽は直結している。
当然彼らが奏でる音楽は、カラヤン、アバド、クライバー等が響かせるものとは違ったものになる。
彼らにとって、第2楽章に刻まれた憂愁や、困苦の中の光は、生きる実感、現実そのものなのだ。
指揮者ドゥダメルは、ヴェネゼーラから生れたクラシック音楽界の逸材(スター)だ。
2004年の第1回マーラー指揮者コンクールで優勝している。
スコア解釈と、それをオーケストラから引き出す能力は、世界的なレベルにあり、
最も注目を集めるひとりになっている。
この7番の演奏を作曲者が聴いていたら、
最後の音が鳴り響く前に立ち上がり、拍手を送ったのではないだろうか。