ピクニックの準備 [DVD]
うまいですね。それぞれのキャラを立たせて、本編に入りやすくしてある。
コント調のものからムーディーなものまで、それぞれの監督の力量が冴え渡ります。
松田まどかさんが可愛いですね。相手役の神主さんは木村拓哉のイメージ?
オムニバスなのに全く退屈しない、世界観に惹きつけられる90分でした。
ネバーランド Vol.3 [DVD]
ジャニーズの人たちがたくせん出ているので、
特定のファン狙いかと思っていましたが
全くそういうことを感じられない程内容が濃くて
おもしろかったです☆
絶対1話から見るべきです!!
夜のピクニック (新潮文庫)
恥ずかしい話、大学1年になって夜のピクニックくらいの分厚い小説を読んだ事はあまりなかった。
正直、読む前は話の内容や分厚さから「途中で飽きるんじゃないか?」と悲観的だった。だが、読んでいくうちに自分もこの学校の生徒みたいに思い始め、ページを捲る手が止まらず、2日とはいかないが、とても早く読むことが出来た。
運動会でも修学旅行でもなく、みんなでただ歩くだけの歩行際を2日かけて歩くだけの物語。だが、そこには運動会や修学旅行にはない友情や恋や青春の数々がある。
読み終わってまず感じた事は「もっと早く読みたかった。」という事。中学時代でも高校時代でもいい。高校時代、友達と呼べる友達はおらず、恋も一途で終わってしまい、青春なんて体験したくてもできなかった。
夜のピクニックを読んでそれを補おうとは思わない。だが、アニメみたいな光り輝く友情や恋や青春を憧れていた自分はこの話の人物達のように地味でも固く結ばれた友情や恋や青春というものがあるというのをもっと早く知りたかった。
ブラザー・サン シスター・ムーン (河出文庫)
第一部が★3つ。 第二部が★5つ。 第三部が★4つ。
平均すると、★4つです。
やっぱりプロだなあ、と思ったのが自叙伝的な第一部より、
創作であろう、第二部の方が圧倒的に面白く、
第二部だけを膨らませて書けば、ものすごいものになったのに。
ちょっと残念でした。
ただ、第一部の大学生時代のグダグダ感は共感でき、
やっぱり、そのグダグダ感を振り替えって、初めて、
新たな物語を紡げるようになるんだろうなあ、とは感じました。
夢違
恐ろしさとなつかしさがこぐらかりながら、夢の意識状態に巻き込まれてゆくすごい体験でした。
恩田陸の脳内をのぞいているような体験です。
ストーリーの骨組みはといえば、夢を可視化保存できる「獏」という機械が開発された少し未来、予知夢を見ることのできる古藤結衣子という女性がその被験者になり、大火事を予知し、その大惨事で彼女自身も死んだと思われていたところから話は始まります。彼女の婚約者の弟だった主人公浩章は、獏の「夢札をひく」仕事に携わり、人の夢に関わっているうちに、現実が溶けてふいに奇妙な情景が見えたり、何よりも、死んだ古藤の気配を、夜の窓硝子に感じたり、幽霊のように目撃したりするようになります。
その中で、ある学校のひとクラスの児童が集団でパニックに陥り、何があったのかを知るために、浩章はその子どもたちの夢札をひくうちに、ひとりの女の子の異様に鮮烈な夢にあらわれる烏と、それを着ぐるみのように着込んでいる結衣子の姿にめぐりあう・・・・
悪夢ではないのにぞっとするような夢の感触がちりばめられています。同じ夢を繰り返し見るうちにしだいにぼけてゆく細部とか、あるいは現実の中に、ふいにいつの時代かわからない吉野の桜の花盛りが広がってきたり、読者はこの現実と夢が地続きになる何ともいえない不気味な感覚を味わいながら、「夢札をひく」ことの意味を、また予知夢を変えることの意味へと導かれていきます。
古藤は生きているのか。
そして彼女は、いったん夢札を通じて通路ができたすべての人の視覚に出没することができるようになったのではないか。
彼女を追って、主人公は、かつて夢札にかかわったことのある被験者であった子どもたちを追跡。彼らの夢をたどれば、彼女がいまどこにいるかもわかるのではないか。
どこへ向かっていくのかわからないサスペンスですが、夢の描写の生々しさとあいまって、ラストまで息もつがせずに読ませます。
この物語で大きなポイントは二つだと思います。ストーリーラインよりも、帯にもあるように「夢の無意識がそうなったように、すべてが可視化されてゆき、幽霊も、イメージも、すべてのものが見えるようになる世界が来る」という、この現実がやわらかくなって無意識の世界と溶け合う体験を、読みながらリアルに味わえることが一つ。(結論は例によって唐突に断ち切られたようになっていますが、それが目的ではない小説だと思います)。
それに関連してもうひとつは、夢の世界の異様な迫力を、恩田陸が余すところなく描きだしている筆力です。夢という、もともとクリアーな視覚化にはなじまない世界を、この物語で夢札にかかわる人々は、どんどん、他人と共有できる形で可視化できるようになってゆきます。つまり夢のあいまいなこわさと、それを視覚的に説明することが、この小説では驚くべき両立を見せています。ここが物語の迫力の根源です。
パニックした子どもたちの顔が「真っ白なお面をかぶっていた」ように見えたり、過去に活けられていた別の花が花瓶にだぶって見えたり、視覚という感覚のもたらす目眩と眩暈に、まさに「夢札酔い」させられる。夢という存在の生々しさに背筋がぞくぞくしながら、ページをめくらずにはいられません。
かつて『ネクロポリス』で死後の世界まで可視化(単に設定するのではなく、ヴィジョンとしてその意識状態ごと描く)してしまった恩田陸。
この小説の新しさは、これがフィクションではなく、まったく新しい現代の拡張現実の行く先を指さしている生々しさだと思います。
<追記>
このあとで乾緑郎の『完全なる首長竜の日』を読み、ひじょうにテーマ的に似ていると思いましたが、乾作品のほうは、夢と現実の感触が同じように描かれ、どちらもヴァーチャル・リアリティあるいは3D映像を思わせます。そういう描写によって、両者がお互いを侵犯し、まじりあい、どちらがどちらかわからなくなる、という作品の狙いが達成されています。
しかし恩田作品のほうは、現実とまったくちがう「夢」ならではの質感が書かれていて、現実のほうがそちらへ呑み込まれてゆきます。テーマよりもそのふしぎな夢感覚を描出したことが手柄である、と感じた最初の読みのときの感覚が確認された気がします。
夢はあいまいで、よく見えなくて、それだけに怖く、なつかしいもの。
この作品に限らず、恩田さんの特異性は、こうした微妙な世界の空気感をとらえる力だと思います。