心に龍をちりばめて (新潮文庫)
メロドラマとして必要なお膳立てが全て揃っていて、
(美しい女主人公・完璧だが何かが足りないフィアンセ
・粗暴だがどこか優しい幼馴染・孤児としての出自の秘密
・立ちはだかるアクシデント・運命の連鎖等々)
ある意味で完璧にオーソドックスな通俗愛憎小説。
キャラクターたちも、ストーリー展開も
規制の枠をはみ出すデモーニッシュな点が微塵もなく
(玄人筋には物足りないだろうが)
最後の一行まで安心して読み進められる。
この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (講談社文庫)
貧困、経済、セックス、結婚、宗教など現代社会における様々な主題が、主人公(カワバタ・タケヒコ)の言動やその身辺で生起する様々な事件と各種文献からの引用を交えながら、持ち前の透明感溢れる文体で自在に物語られる。引用部分はそれだけを見るとやや嫌味な感を与えるが、主人公の人物設定(知的好奇心旺盛な一流週刊誌編集長)もあり、小説全体の中に無理なく溶け込んでいるように思う。また、本来なら堅くて読むのに骨が折れそうなテーマを取り扱いつつも、一気に読ませるストーリーテリングの才はやはりさすがである。
個人的には、「自由」と「平等」の持つ皮肉さ(逆説性)について大いに考えさせられる一作であった。(フリードマン流の自由は、一種の不可逆的な過程として最終的には不自由(例えば貧困)を招来する。ガン病棟ほど社会的地位や財産が無意味で人々が対等で平等な世界はないが(151頁)、逆にそこに漂う腐臭(例えば、自分ではなくまず他人の命を先に奪ってほしいと冀う心情)の凄まじいこと(169頁)、等々。)
「恋愛はギャンブルだけど結婚はビジネスなの」(141頁)。「ありのままを受容するのではなく現状に何かしらの欠陥を見ようとするのは、向上心のなせる業というよりも、自らの存在そのものへの否定、ひいては自己破壊にも繋がる厄介なコンプレックスが原因の場合が意外に多い」(195頁)。「もうこれ以上自分に何かを上積みするのではなくて、余分な荷物をどんどん捨て去って、自分の本体ともいうべき核心部分だけを持ち続けていく」(202頁)。
幻影の星
白石一文氏の作品はデビュー作から欠かさず読んでいる。いくつか節目となる作品はあったが、例えば、「この世の全部を敵に回して」や山本周五郎賞を受賞した「この胸に深々と刺さる矢を抜け」などは量的変化の延長線上の転換点となる作品だったのに対し、「幻影の星」は飛躍する、ブレイクスルーした作品である。しかもとにかく面白い、いままで読んだことのない、哲学をエンタテイメントで包み込んだ深淵な物語である。
物語は時空を超えて展開し、「未来」「現在」「過去」といった時間に制約された私たちが知る世界を否定する。そこでは、すべてが「レプリカ」であって、本物が「無い」ということが「ある」世界に私たち読者を引きずり込む。そこで、大切なのは「生」ではなく「死」であると。地球上の全人口69億人も100年後には、ほとんどが死んでしまうという現実の前には「生きる」ことは大した意味がないという。
だが逆に、それだからこそ、「生」をビビッドに認識することができるのであるが。
物語は用意周到に仕組まれた伏線と、練りに練られた構想によって、予想だにしなかった結末と私たちを導く。技法は緻密かつ洗練され、斬新である。読む者を圧倒する論理展開は、人間とは何か、死は恐れるものなのかなどなど人間が持つ根源的な問いを私たちに投げかけるように進んでいく。いろんな読み方が出来るし、それぞれのとらえ方も違うだろうが、一度読んで終わりという作品ではなく、繰り返し読みたくなる作品である。多くの人に読んで欲しいと思った。
不自由な心 (角川文庫)
こういう物語を、いくつ乗り越えれば、人生は楽しいのだろうか。
哀しみ、喜び、重たい欠片はなかなか他人には見えないし
伝えることもない。
また、必ず読み返すことになる名作が響く。
何も知らず、すべてが輝いていたかのような子供のころに
戻りたくなるような、
すこし寂しく、共鳴できる場面がこころに響く。
民宿雪国
序章からなぜかサスペンスとしてトップギアで完オチするという、恐るべきトリッキーさ。
だが、本当に恐ろしいのは、昭和から2012年まで連綿とつながる騙し絵のような不思議な時代感覚と共に、一件味気ない仔細な設定から、ポップなピースまで、一人の男の人生を立体的かつトリッキーにあぶりだしたその先にいる、丹生雄武郎という一人の人間に潜む心の闇の奇々怪々さです。
その虚無的な人格を背景につむぎだされる、(明らかに事実と食い違うのに)真実らしい感情が入り混じった虚偽に魅了され、物語全篇通して、引き込まれてしまいました。
やはり今回読んでも痛感したのは、樋口毅宏さんの文章の美しさ。こんなに酷いことをこれでもかと書いているのに、その文章の清廉なこと。感情をそっとほだすような、繊細な言葉選びがずるすぎます。