パラダイムとは何か クーンの科学史革命 (講談社学術文庫 1879)
「現代思想の冒険者たち」シリーズの文庫化。
科学哲学者、トマス・クーンの思想の教科書的解説。
この本を読むと、「パラダイム」という概念がどのような誤解にさらされてきたか、そして現在一般に使われている「パラダイム」という語の用いられ方が概念の拡大解釈にもとづいていることが分かる。
クーンにとってパラダイムとは「ある特定の学問領域において典型例=モデルとなる研究のあり方」であって、いわゆる「ものの見方、とらえ方一般」というようなものではない。
ある分野においてパラダイムの変更=科学革命が起こると、その後また新たなパラダイムの変更が起こらない限りは、そのモデルに則ったルーチンワーク的な通常研究が続くことになる。
そしてクーンは、科学の本質をそのような通常研究の累積にあると見ていた。
華々しいパラダイムの変更はむしろ科学における「異常事態」でしかなく、通常研究が積み重ねられていく「地味」な期間の方が科学にとっては本来的なあり方だというのである。
結果クーンは、旧来の科学史家からは「科学の真理性を科学者の集団心理に還元したアナーキスト」とみなされ、クーン以降に登場してくるラディカルな相対主義者からは「旧来の科学真理主義になおも固執する保守主義者」とみなされてしまった。
確かに、クーンの主張はややもすると中途半端な印象を与える。
彼によれば、異なるパラダイム同士は「どちらがより真実に近似しているか」といった共通の尺度を持ちえず、それどころか両者には通約不可能性=コミュニケーション不全が生じてしまうという。つまりパラダイム・シフトはなんら「進歩」ではなく、せいぜい「価値観の転換」にしかなりえない。
そうしながらも一方では、例えばファイヤーベントの「知のアナーキズム」のような見解、つまり「何らかのパラダイムに無前提に依拠せざるをえない(なにしろパラダイム自体の正当性は当の科学が扱いうる範疇ではないのだから)科学は結局のところ「神話」の一種にすぎず、「知」はつねに相対的なものでしかない」という立場は厳しく批判している。
科学実証主義のような極端な真理実在主義は採らないけれど、知そのものの否定にもなりかねない放埒な相対主義もまた退けるのである。
だが、やはり私にはファイヤーベントのようなラディカリズムに魅力を感じてしまう。クーンの思想には「健全なバランス感覚」というものが備わっているが、およそ「哲学」に必要なのはそうした穏健さではないだろう。クーンの常識人ぶりはどこかカントに似ている。偉大ではあるが、物足りないのだ。
EXIT TUNES PRESENTS Vocalocluster(ボカロクラスタ)feat.初音ミク(ジャケットイラストレーター かんざきひろ) 【数量限定オリジナルマウスパッド&ストラップ付き】
ノリのいい曲盛りだくさんで楽しい・ちょっと他のシリーズよりは内容が似たのがあるかも…でもそれでもOK! だがKYなのがひとつ…tr18。 どっかのオタクアニメのキャラデザした人です〜とかで絵描けただけでも宣伝だろうに何故曲まで…?次にしろよ。 この8分程収録する位ならレンのソロが欲しかった。 EXIT TUNESも最近発売ペース早いのってどうなのよ?安定で売れてきてるからって金儲け見え見えだ。(何度買うの止めようと思ったことだか…) だがやはり視聴者としては一生懸命プロデューサーが作った曲を金払う価値があるほど好きだから買うんだ。 早い発売ペースならそれなりの納得のいくように仕上げてもらいたい。 試聴してみてからの方が良さげ。かも 好きな曲があるなら買う価値あるのでは…、沢山曲があるので好みのが見つかると思います。
フーコー (現代思想の冒険者たちSelect)
「現代思想の冒険者たち」シリーズのミシェル・フーコー編。
このシリーズはどれも、その哲学者の哲学・思想体系の解説だけでなく、その人物の人となり、人物像を伝記的にふりかえっていく
手法をとっているが、このフーコー編はまさにそのやり方がもっとも上手くはまっているのではないかと思う。
同性愛者としての苦悩や、アルチュセールやカンギレムら同時代の偉人たちとの出会い、そしてスウェーデンへの移住。それら彼の人生の、
そのときそのときに起こった出来事が彼の思想にどのような影響をもたらしたのか。その生まれた原点、零度を辿る系譜学的な様相を呈し
ている。また、伝記的なので『狂気の歴史』『言葉と物』『監獄の誕生』『性の歴史』と、彼の主著を年代ごとに追っていける。
伝記的であるため、他の学者からの『狂気の歴史』におけるフーコーの誤謬(阿呆船は実在したのかどうか?)の指摘など、彼の独創的で
魅惑的な思想の副産物とも言える思考の先走りなど、人間らしさもうかがい知ることが出来る。
それらを読むことによって、当時の思想界を席巻した「カリスマ」としてのフーコー像は崩れ去ってしまうだろう。しかし彼の思想自体
を神様のように崇め建てず、一つのディスクールとして相対化する視線を持つこと。そのことこそがフーコーの願いであっただろうし、
彼を読む者にはそのような禁欲的な読みが義務づけられているような気がする。
SATORU NAKAJIMA
はっきり言って、泣けます!! CDに入っている曲は、全てが中嶋悟の映像と共に記憶の底から蘇ってきます。 その1曲1曲が私のF1への思い出です。 CMさえF1の青春の1ページでした。 熱き想いを再びあなたの胸に!!
THE GOLDEN RING~佐野元春ウィズ・ザ・ハートランド・ライヴ1983-1994
俺はRock'n Roll Night ツアー1982から、ずっと佐野元春のライブには足を運んできた。まず驚いたのはCDではポップで軽快なイメージが、あったのだが特に82〜83年代のライブは音が、デカかった事だ。ミキサーも、のりのりで最大限にボリュームを上げライブ後半には音は割れるまでに大音量。 シルクのシーツに赤のストラトを抱え走り回り汗だくになって歌っていた彼が大好きだった。そして、そのツアーが終わるとニューヨークに旅立ってしまったが最先端の音楽(アルバムVISITORS)を土産に帰国し、すぐに復活した。 その後、今までの曲もアレンジを変え演奏される事が多くなった。それはファンの間では賛否両論だった。イントロでは何の曲か分からないのだから。しかし、それは常に進化し続けたいという彼の音楽に対する姿勢だったのだと思うようになった。 そして成熟したThe Heartlandと共に横浜スタジアムでのライブの成功。しばらくしてスカパラやホーボーキング・バンドとのライブ活動になるが、やはり佐野元春の初期のライブから観てきたものにとってはThe Heartlandと佐野元春は切っても切り離せない存在なのだ。 このアルバムは佐野元春を、ここまで支えてきたバンドの記録だ。 膨大な量のライブ音源からのセレクトによる日本ロックシーンに残る宝物だ。The Golden Ringというタイトルが、それを物語っている。 ☆ Thank you moto & The Heartland ☆