きもの (新潮文庫)
幸田文のきもの哲学にふれることができる小説。
着心地にこだわる少女に祖母が教えてくれる「身じまい」は
単にTPOや美しい着方だけのことではなく
女性として生きていく上での知恵や覚悟まで含まれています。
キモノというと華やかな晴れ着ばかりを思い浮かべがちですが、
この本の中できものは、自ら仕立て、繕い、
着られなくなれば別の用途で最後まで大切に使い、看取るものです。
現代ではほとんど失われた貴重なこころを教えられました。
台所のおと (講談社文庫)
障子越しに聞こえてくる台所支度のちいさな音。病の床でじっと聞いている夫。表題になった『台所のおと』は静かで哀しい物語である。ともすれば、安易な人情話に流れるかねないストーリーだが、幸田文は決してはずさない。『濃紺』、『草履』もそうである。人間に対する洞察が深いからだろう。『食欲』、『雪もち』は理解し合えず、離れていく夫婦の物語。幸田文の実体験から来る物語であろう。ひとつひとつの作品が、静かに光っている。
灘中の数学学習法 (生活人新書)
灘というだけで、どうせ賢い子ばかりだから、さぞ授業がやりやすいだろうと思っている
公立の先生が読むべき本である。
灘の先生ですら、生徒のレベルのばらつきに苦労しているということを知って、何を思うか。
公立の先生はたぶんこうおっしゃるだろう、
野球で言うたら「打率4割の子と5割の子のレベルの違いで物言われたらかなわんわ
俺らなんて、バットの握り方すら知らん子がおるんやから」と。
でも、それは言い訳にすらなっていないことに早く気づくべきである。
といいながら、おすすめするのは、灘校志望の子を持つ親、あるいは本人ということになるでしょう。
灘中3年間の四季のうつろいとともに、進度や深度が問題を通じて語られる。
入ってからではなく、入る前にその学校のことをどれだけ知っておくかということが
中学受験では大事である。
また、この本には、どういう子がほしいかまで載っている。
まぁ、同じ名前だが学年が違うと別の学校の如しとか、
灘という学校は6つあるといわれる灘の担任団持ち上がり制だから、
この本の授業が必ずあるわけではないが、受験者には参考になること請け合いである。
流れる [DVD]
この映画の素晴らしさを的確に指摘した多数のレビューが既にあるので、あえてユルく書かせていただく。
主な出演女優の顔ぶれは、
山田五十鈴、田中絹代、杉村春子、高峰秀子、栗島すみ子、岡田茉莉子、中北千枝子
ってあなた・・・。最初は、何かの間違いなんじゃないかと思ってしまいましたよ。もちろん、「子」がつく名前の女優が多いから何かの間違いなんじゃないかと思ったわけではない。余りの豪華メンバーに目を疑ったのである。
しかも、この七人が協力して「斜陽の芸者界」を救おうなんてことはしない。開始直後から、武者修行よろしく一騎討ちを始める。
共演などといえば聞こえはいいが、決してそんな生易しいものではない。気の強い女優ばかりワザと集めて(だから優しさ溢る香川京子などは絶対に出てこない)、現実で演技を競い合わせることでプライドをくすぐり、潰しあう女の戦場「斜陽の芸者界」を完璧に描ききるのである。
『流れる』という題名は、もののあはれを感じさせてまったく絶妙であるが、同時に、女達の生の習性「裏では流れに逆らってしのぎを削りまくる」という真実の姿を、サラリと覆い隠す仮装としても、これ以上無い効果を発揮している。
ちなみに、本物の『七人の侍』である加東大介、宮口精二も、ある意味「斬られ役」として出演していて、いい出汁になっている。
信じられないのは、これだけの群像劇でありながら、それぞれの女優演じる登場人物の個性がくっきりと記憶に残る(全員巧い)ということである。
それから、杉村春子がコロッケにかけるソースや、氷をねだるシーン。山田五十鈴が「じゃ、私ちょっと出かけてくるからね」と言ってタバコをチョイと吸った後に火を消すシーンなど、何気ないディテールがいくつも、いつまでも記憶に残る。ストーリーよりもむしろ、ディテールにこそこの映画の真髄があるような気がする。
そして、セット(美術)。もはや褒め言葉すら見つからない完成度。成瀬の演出は、相変わらずのキレキレ。等、文句の付け所が一つもない。
最後に、この映画は当時としては珍しく、18R指定での公開となった。なんでも、「社会に出る前の若者の心の裏側をどす黒く染めてしまう可能性がある」との配慮からであったらしい(ウソ)。