子供たちは森に消えた (ハヤカワ文庫NF)
我々日本人には馴染みの薄い旧ソビエト連邦時代に起こった恐るべき連続殺人事件を捜査側から描いたNon-Fiction小説である。
まずこの本を手にしたとき、舞台がAmerica又は西洋諸国ではなく、社会主義真っ只中であったソ連と言う点で、『読んでも面白いかなぁ』と若干の不安を抱いていたのが正直なところ。
確かに登場人物の名前が皆似ており、非常に覚えにくく、最初の20頁ほどは読み辛かったが、読み進むに連れ、どんどん引き込まれてしまったのも事実。
兎に角、この本がNon-Fictionだという点に驚かされる。
つまり現実に起こった話だというのが空恐ろしい。
又、ソビエト連邦という国の社会情勢も具体的に描かれているので、それだけでも興味深く読めた。
これだけ抑圧された社会において、犯人(敢えて名前は伏せます。知らずに読めば、推理小説としての醍醐味も味わえます。私は事実そうでした)のような異常者が産まれても仕方がないだろう。
思想的に開放され、物資的に満たされた自由主義、資本主義社会においても、異常者は産まれているのだから、当時のソ連でこのような事件が起こっても何ら不思議ではない。
こういった社会情勢に非常に近しい隣国(北××)で、このような不幸な事件が起こらない事を祈ります。
トイ・ストーリー2【日本語吹替版】 [VHS]
ディズニー・ピクサ―作品です。おもちゃが活躍する作品です。おもちゃのブローカーに日本の博物館に売り飛ばされそうになる作品です。ウッディー、バズ、ジェシーなどが活躍します。アニメーションですが、その立体感・質感は、実写に近く、素晴らしいものがあります。平面的な日本のアニメがかなわい所があります。子供心を想い出す楽しい作品になっています。
華麗なるギャツビー [DVD]
主人公、ギャツビーが愛した女、デイジーのポリシーが「女は美しいおバカさんでいればいいのよ。」強烈に彼女のキャラクターを特徴づける台詞。嫌な女だと思った。
また、ギャツビーがデイジーの声を評して「彼女には金がいっぱいつまっているんだ。」
この二つの台詞と、語り部となるニックが、金持ちで無責任で利己的なデイジー夫婦を「やつらはゲス野郎だ。」とギャツビーにつぶやく台詞。
あるひと夏、30歳の誕生日を境に、ニックが、享楽と虚飾と偽善に彩られたアメリカの富裕層に憧れていた自分と決別する。
映画公開時、ギャツビーが、長い間思い続けるデイジーが、ミア・ファローだったことに、のけぞってしまった。美人のR・チャイルズがデイジーであれば、納得がいったのだが。(チャイルズではデイジーには知的すぎるが。)ミアは、当時妊娠中だったのでクローズアップ映像が多い。
当初、ギャツビー役はS・マックイーンにオファーされていた。彼がA・マックグロー(「ある愛の詩」のヒロイン)とゲッタウェイで共演し、不倫関係になってお流れになった。でも、マックィーンが演じていたら、生まれが貧しい成り上がり者で、野心家で復讐心を抱くギャツビーのイメージに合っていたような気がする。
脚色は、当初のトルーマン・カポーティから、コッポラにバトンタッチされた。
ただ、映画の中の衣装は、白を基調としていて美しく、アルドリッジが衣装デザイン賞を受賞。レッドフォードを彩ったのが、ラルフ・ローレンデザインの衣装。ギャツビールックと言われ、その名はクレジットされていなかったが、後世に残るほど有名になったのは、皮肉なことにラルフ・ローレンの服だった。その服を着こなした、レッドフォードの二枚目ぶりはさすが。彼がなかなか登場しないのには、少ししびれをきらすかもしれない。アメリカン・ビューティーのR・チャイルズは美しかった。
古き良き時代のアメリカの上流社会の雰囲気を、ノスタルジックに感じるには良い作品。
男性化粧品のギャツビーシリーズは、この映画からネーミングされた。
スーパー・ユーロビート Vol.97
隠れた哀愁の名曲が多いCDです。特にいつもイケイケ系が多かったロリータやデレク・シモンズも、哀愁の歌でまた違った一面を見せてくれています。ボーナスCDの方は、うって変わってイケイケ系がメイン。1曲目や9曲目は、オリジナルよりもさらにノリノリで楽しめます。
ナッシュビル [DVD]
御存知、ロバート・アルトマンの多彩なフィルモグラフィーの中でも最も重要な作品が、遂にと言うかようやくと言うか、いきなりの初DVD化にして嬉しいサプライズとして廉価版にて登場。
今まで折に触れ、拙レビュー上でDVD化を祈念し叫ばせて貰っていただけに、これはめでたいと思う一方、何か狐につままれたみたい(笑)。
紛れもなく70年代のアメリカ映画を代表する傑作にも拘らず、今年“70年代アメリカン・ニューシネマ特集”と題して、テレンス・マリックの「天国の日々」と共に一部の劇場でリバイバル上映されたものの、今までヴィデオ化すらされず、多くの方々にとっては伝説の映画だと思えるので、これを機に是非御覧下さい。以上。
〜と結んでしまいたいくらい、この映画、その魅力を語るのが中々に難しい(笑)。
如何にもアメリカ的なC&Wの聖地ナッシュビルに一旗揚げようと集まってくる者たちの5日間に、狂信的大統領候補の予備選キャンペーンを絡ませながら、ウォーターゲート事件後の政治的緊張感と70年代アメリカ社会をも照射したテーマを、ロング・ショットと多重サウンド、更に、俳優たちにアドリブを多用させながらのネオ・ドキュメントな演出を駆使させたアルトマン的群集劇のスタイルが頂点に達した傑作。
短く纏めるとこんな感じなんですが、我ながら手だれた説明ですね(笑)。
先行されているゴッドキングエンペラー氏も、その的確なレビューで述べられていますが、24人もの主要登場人物が入り乱れての人間ドラマを具体的に追っていくと実に面白いのですが、これをレビュー上で反映させるとなると、確かに枚挙のいとまもない。
今作を初見したのは高校生、初のアルトマン体験だったのですが、正直16歳にはその面白さが今ひとつ分かりませんでした。複雑な人間関係が十分把握出来なかった事もありますが、アルトマン自身のヴィジョンたる“これが、75年のシンボリックなアメリカだ!”的メッセージが、アメリカ人でもなく、アメリカで生活した事もない者にとっては、深遠で理解するのが難しかったからです。
ただ、映画の持つユニークさと斬新さには、強烈な印象を受けました。
その後、名画座で再見し、物語の流れと登場人物の個々の動きを“点”ではなく、“線”で捉えられるようになり、そして、“アメリカ”への関心が高まる毎に、今作の持つ凄みと面白さが分かってきたよう思えます。
シニカルにしてユーモラス、悲しいけどエネルギッシュなその風刺精神にハマってしまったんですね。
登場人物たちの人間模様が、幾重にも交錯し、あのラスト・シーンへと繋がっていく。
2時間45分、そのドラマ性は極力抒情性を排しながらも、“I’m Easy”を歌うキース・キャラダインをただ見つめるリリー・トムリンとか、服を脱がされる事を知らずに、男性向けの大統領候補選挙資金パーティに駆り出され、結局ストリップを強要されるグエン・ウエルズとか、実に切ないんです。
騒然となったラストで主役交代とばかりに憑かれたように熱唱するバーバラ・ハリス。彼女の歌う“It Don't Worry Me”は、キース・キャラダインが、もともと自身が出演した「北国の帝王」の為に書いた楽曲ですが、その歌詞は、今作のラストを飾るに相応しい如何にもアルトマン的アイロニーを感じさせます。
今作では、20曲以上ものオリジナルな楽曲が使われていますが、曲を作ったり、歌ったりしているのは、みな、出演者自身。カレン・ブラックでさえ、中々の美声を披露しています。
これだけの個性派、クセモノがスタッフ、キャストに名を連ねている今作ですから、当然逸話の類は多いのは当たり前で、例えば、リリー・トムリンの役柄は、最初はルイーズ・フレッチャーにキャステイングされていたとの事です。トムリンには、同時期に別の映画のオファーがあったそうですが、結局、運命の皮肉か、ふたりはそれぞれに振られた役を取り替えて出演し、トムリンは、今作でアカデミー助演女優賞にノミネートされました。代わりに、フレッチャーが演じる事になったのは、「カッコ―の巣の上で」であのラチェット婦長。彼女は同作で、見事アカデミーの主演女優賞に輝きましたが、双方が当初のままの役柄でそれぞれの映画に出ていたら、なんて考えるのも、映画ファンの秘かな愉しみではないでしょうか。
映画の撮影時、世間ではウォーターゲート事件に端を発したホワイトハウスの疑惑で噴出しており、ベトナム反戦運動に関わっていたスタッフ、キャストが多かったその現場では、その話題で持ち切りだったようで、ニクソンの大統領辞任のニュースが報じられた時には、大歓声が挙がったとの逸話も懐かしいですが、後に、ジョン・レノンの暗殺事件が起こった際、この映画との関連性に聞かれ、責任を感じないか、と問いただされた時、アルトマンは、一笑にふし、自分の警告に何故誰も耳を傾けなかったのか、と反論したそうです。政治家の暗殺は、政治的背景などよりも単に有名人であるから狙われる、との持論を展開したんですね。