犬婿入り (講談社文庫)
彼女の作品のなかで、多くの人が最初に手に取るであろう「犬婿入り」であるけども、なんとなく異質な印象を受けるのは私だけでしょうか。毛色が違うというか。なぜこの作品が、というのを考えてみるのも、面白いのではないでしょうか。
尼僧とキューピッドの弓 (100周年書き下ろし)
一般には馴染みの薄い尼僧院の内部事情を知る意味でも興味深い。小説であるからどの程度脚色しているのか測りかねるが、
一種の養護施設化していくことは時代の流れであろうし、日本でも参考になりそうな現象でもある。
それにしても、日、独の両事情に通じている著者の独特の筆致は多文化世界を瞥見する楽しみもある。
第二部は不要な気がする。
大雪の後、都内の尼僧院の前の道路だけが除雪されないまま何日も放置されていたことを思い出しもした。
雪の練習生
なかなかないです!発想がすごい。。物語としても、小説としても素晴らしかったです。前作の「尼僧とキューピッドの弓」も最高でしたが、それに並ぶ。細かなところまで物語の神経が行き届いていて一切死角がなかったです。多和田さんのこれまでの作品でいくらか見られた難解さもないのに、まさに芸術!でかつ面白い純文学です。
アサッテの人
これは小説なのかな・・・と思いながら読みすすめました。
技巧なのか感性なのか、ばらばらとしたものをばらばらのまま
ひとつの小説に仕立て上げてしまっている・・・。
失踪してしまった、「アサッテ」な言動をする叔父について。
風変わりな叔父を小説の題材にしようとしていた主人公が、
当人の日記のなかの苦悩を読んでしまったことによって書けなくなっていく。
無意味なことばを叫ぶという行為で
社会的なものを突き抜けていく。
でもその行為自体も、意味と目的を意識してしまえば
もう無邪気に世界を超えていくことはできなくなる。
すごく自意識と言葉にこだわった小説なのです。
誰でも突然、場にふさわしくない行動をとりたい衝動に駆られたり
こっそりバカで無意味なことをしてみたくなったりすることがあると思うけど
そのことがものすごく切実な、自分の存在に関わる葛藤になっていくのです。
それにしても。
お話にでてくるアサッテ語の「ポンパ」とか「タポンテュー」とか「チリパッハ」とか
かなり魅力的な響き。
意味をとりさっていくと、面白い言葉っていっぱいあります。
私は最近は「ぽあんかれ」というのがちょっとお気に入り。
なんともまぬな響きで、毒気が抜かれます。
仕事中に叫びたくなりそうです。
ゴットハルト鉄道 (講談社文芸文庫)
噂に名高い多和田葉子を読んでみたが、日本の小説がまだこの程度の文学的想像力と日本語運用能力で満足しているのかと思い知らされて嘆息した。ほとんど強靭な狂人の高橋新吉におよばないのは仕方ないこととしてもだ。たしかに腰巻きキャッチコピーが言うように、多和田葉子は「言葉のマジック」にすぎず、それ以上でも、それ以下でもない。この程度なら漫画家の花輪和一のほうが100倍すごい想像力と筆力を、そして人間性に対する深いアイロニーと諧謔を持っている。日本の小説が漫画におよばないということは、かえすがえす残念なことである。