美しい生き方が、ここにあります。
月刊フーガの特集をまとめた、いわば、別冊フーガとでもいうのか、50人もの人物の記事があるものは、他に類をみない。それだけに圧巻だ。わたしは、この本を手にしたとき震えた。重さのせいでもあるのかもしれないが、本の放つ「オーラ」を感じたのだ。感動した。手にしただけで感動した本は、初めてだ。
わたしはフーガを購読しているが、特集されたような人物らの生き方を羨んでいた。「こんな生き方ができていれば、今、こんなんじゃなかったのに」とか、「努力しても報われなかった」とか、ひがんでもいた。それでもその生き方自体、嫌いではないので改めて読み返して見ようと、この「美しい生き方、ここにあります。」を購入した。
「美しい景観」を目の当たりにしたときに、それに感動し、なぜかまぶたから涙が溢れだす。そして、みなぎる力、これからのヤル気、を感じたことはないだろうか。それと同じようなが感動が、「人の生き方」にもあった。ここに紹介される人物の「美しい生き方」は、人にパワーを与えている。生き方の導も教えてくれているようだ。羨んでいたことを恥じた。この本のオーラは、人の「美しい生き方」が放っていた。これからのわたしのバイブルとなるだろう。
この本を手にする方は、感動と重さに震えぬよう、ご注意を。
ローマ書講解〈上〉 (平凡社ライブラリー)
超越神の永遠の相の下で神学的思惟を続けたバルトだが、実はその栄枯盛衰は時代の流れという現世の背景を抜きには理解できない。
本書(初版1919年、第2版1922年)が出版されたのは、第一次大戦という、世界と人類にとって危機的な出来事の余韻が未だ消え去らぬ時代だった。人々が戦後の不安と微かな希望の中で精神的な拠り所を求めていた時、キェルケゴールの思想を手がかりに神と人間との間の「無限の質的差異」を突きつけ、実存の危機にある人間に対する超越神の救いの音信を高らかに謳った本書は、歓呼の声をもって迎えられたのだった。
その後、バルトは「危機神学」ともキェルケゴールとも訣別し、『教会教義学』に代表される「神の言葉の神学」へと方向転換する。それは、祈りの中で神の言葉である聖書に聴き従いながら、切り口を変えても「金太郎飴」のように、ひたすら神の恵みの豊かさと勝利を饒舌に語り続けるものだった。
しかし、第二次大戦の経験を経て、世界と人類とが再び実存の危機に目覚めた時、おめでたい天からの恩寵を説き続けるバルトの神学は、現実から遊離した「天上の独白」として信頼を失墜してしまった。神学界の趨勢はブルトマンの時代へと移り変わっていく。
皮肉にも、バルト自身が乗り越えられたものと考えていた本書『ローマ書講解』こそ、同時代の証言として貴重な古典であるだけでなく、安寧のうちにまどろむ個人に実存の危機を覚醒させる力を今日なお保ち続け、(既に「読まれざる古典」となった『教義学』とは裏腹に)広く読み継がれている。バルトの遺産の中で後世に残すべき価値のあるものは、後期の紙屑の山(9千頁!)ではなく、本書にこそ求められるべきだろう。
図説戦国の実戦兜―決定版 (歴史群像シリーズ)
兜好きな方には大変お勧めだと思います。
時代ごとの兜が記載されていて隅々まで詳しく説明されています。
しかし写真を沢山見たい!甲冑の写真が好きだ!と言う方には
あまりおススメできません。悪までも実戦兜をまとめた本なので
兜がほとんどで、甲冑の方は4領ほどしか記載されていません。
又、一つ一つの兜を解説しているのでそこまでビッチリと写真が
載っているわけでもありません。写真、解説の1/2という割合だと思います。
しかし説明にもあうように他の本では見たことが無い兜、甲冑が記載されているので
好きな方には大変おススメとなっています。今回星4にしましたが、
これは、自分は甲冑好きなのであまり記載されていなかった事と、
もう少し兜の量を多く記載してほしかったと思います。
自分の考えからだと頭形兜が実戦的な兜だと思っているので、
その兜があまり載っていないのでこの様な評価にしました。
何度も言うように兜好きな方には説明が詳しいのでおススメです!
姉川の戦いの朝倉方武将真柄の首兜記載ありです!