日本の伝統 (知恵の森文庫)
同出版社から出ている『今日の芸術』の続編(各論)として書かれた本です。読み方は自由ですが、やはり前書を読まれてから本書を読まれたほうが理解がいいと思います。
本書の目次は、「一・伝統とは創造である」「二・縄文土器」「三・光琳」「四・中世の庭」「五・伝統論の新しい展開」となっています。巻頭には太郎さんが撮影した縄文・弥生土器や本文中で言及されるいくつかの日本の庭の写真(モノクロ)が30ページにも亘って掲載されており、また巻末には岡本敏子さんの解説が付されています。本文中にも沢山の写真が挿入されていて親切です。
本書は、非常に具体的なものに即して話が進むのでわかりやすいかと思いきや、芸術論として突っ込んだレベルの高い内容になっており、『今日の芸術』よりも難しく感じる方が多いと思います(私はそうでした)。しかし、太郎さんの確かな眼識が捉えなおす<日本芸術>論は非常に独特で新鮮であり、一読すれば必ずや<日本性><芸術の現代性>について何らかの刺激と示唆を受けることは間違いありません。
フランスの画家ベルナール・ビュフェは「芸術は花と同じように人生に必要なものだ」と言いましたが、太郎さんの芸術論もそうした<芸術は人生の余技や趣味的なものではなく、もっと人間が人間らしく生きるために必要不可欠な実存的なものだ>という意識に基づいていていると強く感じます。<芸術は太陽のように皆のもの>という言葉にもそれは表れている。この認識は、所謂<人はパンのみにて生きるにあらず>という人間存在への鋭い洞察です。高い納税率によって生活の物質的な面が保障されている幸福度世界一のデンマークでさえも、自殺者の増加に悩んでいるという現実は、私達にこうした言葉の意味、その洞察の確かさを更に深く感じさせるものです。
人生を真に充実させるものは、あってもなくても良いような趣味的な芸術や、型にはまった無難で安穏とした受身の生き方の中には決してないのだと、ぬるい空気の中で寝ぼけ眼をして、自分でも気づかないうちに少しずつ生きる手ごたえを失っていく者たちに、太郎さんはいつも芸術を通して「危ないぞ!」「眠るな!」「戦うんだ!」と銅鑼を鳴らし、全身で、大声で、訴えてくれます。自分自身を、きびしい主体的闘争の場に置きながら−−。
「私は、それまでとうてい想像もしなかった現代日本社会のさまざまの非合理、いやったらしさ、無意味さ、たまらない気分とぶつかるのです。いやだ、とつくづく思いながら、しかし押しすすめてゆかなければならない。負けてしまわないで、現実の不如意をすべて引きうけ、のりこえ、それ以上の問題をつきつけてゆこう。非力であろうがなかろうが、正面からぶつかり、自分が責任を負うのだというのが私の考えです。・・もしすっきりした環境に住み、感じ良く暮らしたいのなら、もちろんパリにいればいいのです。市民的常識で、お互いにうるさい干渉はしないし、人間はなんといってもおうようだし、しかも外国人であってみれば、一だんと私は自由です。だが、あえてこの日本で、戦いつづけたいのです」(第五章)
この文章に、自分の母国である日本に対する太郎さんの並々ならない愛憎と決定した覚悟を感じて、改めて太郎さんという芸術家、そして太郎さんという人間に打たれました。
ぜひご一読ください。
木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)
この本は「木に学べ-法隆寺・薬師寺の美」というタイトルとなっているが、大工さん、建築士さんはもちろんのこと、仏教美術や建築に興味がある人だけが読む本ではなく、教養書として一般に広く読んでもらいたいと思う本だ。
もちろん、内容は法隆寺や薬師寺の修繕に携わった時のことが書かれているのだが、単に建築のことばかりに止まっていない。
木にはクセがある、その木のクセを知ることが大事だと西岡氏は言う。それは人間にも言えることで、人に対する優しさや厳しさ、畏敬の念など、現代人が忘れてしまったことを思い出させてくれる本だ。
自身が母親父親なら子育てをする心得ともなりえるし、ヘタな人生啓蒙書なんかと比べ物にはならないぐらいだ。驚きの一冊。