復讐捜査線 [DVD]
妻と別れ、久方ぶりに1人娘と再会したベテラン刑事クレイディ。
再会も束の間、病魔に冒されたかの様な娘を病院に送ろうとしたところ、何者かの銃撃により娘が惨殺されてしまう。
当初自分が標的だと思ったクレイディだが、娘の遺品を整理していくうち、隠された陰謀に気づいていく。
娘の仇をとるために、復讐の鬼と化すクレイディ。刑事としての一線を越え、真相の迫るクレイディ周辺に、敵の罠が襲い掛かる!
「96時間」ほど父のスキルは洗練されてはいないが、真相に迫る気迫は「96時間」に匹敵します。
銃撃戦メインの映画ではないですが、良質のサスペンスになっています。
敵対する組織のフィクサーも凄い味を出しています。
メル・ギブソンも色々あって銀幕の世界から遠ざかっていますが、この映画はそこそこヒットしたと思います。
モア ミュージック フロム ブレイブハート
ブレイブハートは現時点で私のベスト1の映画ですが、3時間という長さなので、なかなか鑑賞の時間がとれません。そういうときに、音楽+台詞のこの作品で、てっとり早く映画の雰囲気に浸ることができます。ブレイブハートのDVDは英語の字幕でも何度も観ましたから、英語の聴きとりの勉強にもなります。そしてケルト系の音楽好きには魅力的な曲・演奏が多いです。
グラディエーターのサントラ盤にも「モア・ミュージック・フロム〜」がありますが、どちらも重宝しています。映画本編のDVDまたはブルーレイ愛好者向きですが、映画の抜粋・代用品と割り切って聴けばよいでしょう。
キネマ旬報 2010年 9/1号 [雑誌]
今回の3D特集は、非常に読み応えがありました。
今年は3D元年と言われていますが、実は2005年の「チキン・リトル」から始まっていることにはじまり、今日に至る3Dの歴史を徹底検証。
昨年から直近まで公開された3D作品の採点、3Dにはどんなタイプがあるのか、映画館の座席はどこがベストなロケーションなのかなどQ&Aも充実。
今後の公開される3D作品のリスト付き。このコラムは保存版にして良し。
パッション [DVD]
私の家族は全員クリスチャンなので、いつもは映画など全く興味のない老いた両親もともに映画館に足を運びました。田舎の映画館ゆえ客数も数える程で、話題作だからというよりも信者だから観に来ましたという感じの方ばかりでした。ですから観おわった後は皆一様に言葉もなく、涙を流しておりました。信者の私たちが一番感銘を受けたのは、やはり十字架刑の凄惨さをリアルに映像化して見せてもらえたことです。イエスの鞭打ちにしても、ローマの鞭が鉤つきで皮膚を引き裂く程のむごたらしいものだとは知っていましたが、体の前面も背面も鞭打たれたなんて知りませんでした。しかし、あの鞭打ちにしても、十字架刑にしても、監督は決して誇張してはいません。ローマの十字架刑とは、当時のあらゆる刑罰の中で最もむごたらしく、怖気を振るうものだったので、異邦人専用の死刑法であり、同胞のローマ人には科せられなかった刑だと聞いています。聖画に見られるようなイメージではなく、実際に十字架刑とはあのような目を覆いたくなるような残酷極まりないものだったのでしょう。演じたカヴィーゼルもクリスチャンで、祈りながらの出演だったと聞きます。イエスの生涯の目的が、十字架による人類の罪の贖いだったことを考えると、その一点に絞ってまるでドキュメンタリーのように美化も誇張もせずに映像化してくれた監督に感謝です。信者でない方の中にも感動された方やキリスト教に関心を持たれた方もおられたと聞いて、信者としては嬉しいかぎりです。
復讐捜査線 [Blu-ray]
※ラストに触れているので、未見の方はご注意を
単なる復讐劇かと思いきや、これは侮れない映画だ。
まず、全編を覆う死の雰囲気に驚かされる。主人公が巻き込まれる陰謀、フィクサーの抱える病気、そして放射性物質と、登場人物全員が、死に向かって確実に歩みを進めている。 逆に浮かび上がってくるのが、劇中を(少なくとも画面上は)生き残る人物たち、すなわち、殺された娘の友人の女性、主人公の同僚の刑事、そしてラストの警官の3名だ。
彼らはいずれもこう言う。「俺(私)には子供がいる」 ここから作品のもう一つの側面が見えてくる。それは、死ぬ事が運命づけられている人間にとって、我が子の存在こそ生きる意味たりえる、という価値観だ。そして、おそらくそれは(観客が受け入れるかどうかは別として)キリスト教的な価値観ではないかと思われる。
娘が撃たれる場面を見てほしい。血まみれの娘を抱きかかえる主人公の首から垂れ下がるネックレスには十字架が彫られており、さらに彼は娘に「神よ、あなたの愛と慈悲によって…」と、臨終の祈りを口にしながら泣き崩れる。彼はクリスチャンなのだ。(ちなみにメル・ギブソン自身もカトリックの信者だ)
原題を訳せば「暗闇の淵」といったところだろうか。オリジナルのTVシリーズと同じ題名だが、本作における「暗闇」とは、我が子を失った主人公の、現実に対する絶望である。彼は現実を生きながら、既に魂は死んでいる。だからこそ、ラストで我が子によって暗闇に「光」がもたらされる。この作品は、魂の救済の物語でもあるのだ。
マーティン・キャンベルの歯切れの良い職人的な演出は、時としてこの作品が持つもう一つの側面を見えにくくしがちだが、久々に薄っぺらではない、映画を読み解く楽しさを味わわせてくれる作品である。