疾走 上 (角川文庫)
重松清は、小説家としてではなく、ライターとしてこの物語を書かざるを得なかったのだろう。疾走していたのは、シュウジではなく、作者自身ではなかったのか。
それほどまでに彼を追い詰めたのはなんだったんだろう。
ある人は、彼の暗黒面といい、ある人はジャーナリスト魂という。
私は、彼の持つ人間に対する苛立ちではなかったかと思う。
これを書いたことでつき物が落ちたような感じではないか。
これが、真の重松清であり、流星ワゴンなんかはシゲマツなんだろう。
そういう意味で、主人公の名前はカタカナではなく、感じでよかったような気がするのだが。
今までのファンを裏切りかねない冒険と思うが、他のペンネームではなく、
重松清として本作を送り出した勇気をたたえたい。
文庫版に解説がないのは、誰も書いてくれなかったからなのか、作者が拒否したのか。
「文庫版のためのあとがき」がないことからして、後者かな。
そこに、重松清の作家としての矜持と本作への意欲を見る。
軽蔑 ディレクターズ・カット [DVD]
すでに劇場にて鑑賞した方には,Melissa Laveauxの唄う『My Boat』(カズと真知子がお店から逃亡して夜の高速道路に乗るシーンのBGM)など,音楽が胸に迫った方も多いのでは。この映画のために新たな曲を作らない,というのは監督のこだわりだったそうで,だから観客としては,現実の世界に帰ってもカズと真知子からのおみやげを受け取れます(*^^*)映画は当たり前に誰かに見せるものなのかもしれないけれど,これほど観客を要する映画に出会えたことはとても幸せなことでした。
十七音の海 俳句という詩にめぐり逢う 【Amazon:著者朗読音源プレゼント】
選ばれている句も味わい深いですが、言い過ぎないシンプルな解説が想像を描く余白を残してくれて、とても気持ちよかったです。
わたしは俳句を始めてみたいなと思っていたので、もちろんドンピシャでしたが、
俳句に特別興味がないひとにも「時や人をもっと感じよう」とか「『ことば』をもっと大事にしよう」とか、丁寧に生きることを思い出させてくれると思います。
古来から日本人がそうしてきたように。
岬 (文春文庫 な 4-1)
中上は私小説の鬼子だった。名家に生まれ学習院を出た志賀直哉のネガのような彼の血筋と家族構成について知らない若い読者はネットで検索してほしいが、そういった「血」の問題を作家が自身の傷をエグるようにして私小説に昇華していく成長の過程が本書所収の4編を通すと時系列でよく見えてくる。これが本書の最大の読みどころだろう。
一人称で書かれた最初の「黄金比の朝」ではまだ彼が育った家庭のモチーフは断片的な借用にとどまっているが、完全に三人称を自分のものにして「秋幸」というもう一人の自己を完成させた最終話「岬」で、彼はとうとう生まれた「地」と「血」を物語世界に昇華させることに成功する。この作品以降に続くこの血族の物語群(「紀州サーガ」)で中上は文学史に残る作家となる訳だが、高校卒業後に東京へ出た作家自身とは対照的に地元紀州の路地に留まって成長した「秋幸」が「血」の闇に対峙し没入を開始するまでを「岬」では描く。(なお、この作品のラストはやはり志賀が「血」の問題を扱った「暗夜行路」前編の有名なラストシーンと対比的であることも付け加えておく。)その後、「秋幸」やその家族がどうなっていくのかは、その後の作品を読んでほしい。
路地へ中上健次の残したフィルム [DVD]
中上健次にまつわる映像の層の薄さは、如何ともしがたいものがあった。テーマがテーマだけに「差別」とどう向き合うのか、映像を作るものの覚悟が問われる。NHK教育テレビのドキュメンタリーは、一歩、その点で抜きん出たものといえるが、それでも不満が無いわけではない。まして柳町某監督の「火まつり」は論外。
そのような中で青山監督のこのフィルムが出た。カメラは田村正毅。やや霞んだ、夏の日の紀州の映像。勿論「夏ふよう」もそこにはある・・・・
本フィルムのメインはあくまで中上による「路地」の映像である。そして中上作品の朗読。新宮への道行き。構造はあくまでシンプルだが、「路地」の映像を邪魔しないものになっている。