センセイの鞄 [DVD]
30代の月子はある小さな居酒屋で初老のセンセイと再会する。センセイはかつて月子が教えを受けた高校時代の国語教師だった。二人のほのかな関係はやがて男女の関係となる。
二人の間に大きく横たわる年齢差は決して障害になるとは思われなかった。それは激しく燃える恋ではないが、互いを慈しみ合う、温もりのある恋だ。
そんな二人にやがて突きつけられるのは、人生の終点に先に到着するのがやはりセンセイの方であるという動かしがたい現実だった…。
小泉今日子はどんな役柄でも器用に演じ分けられるような役者ではないと私は思います。世間一般の道理を大きく踏み外すような人物を演じきれる人ではありません。彼女が見事に演じられるのは、はにかみがちに生きる市井の女性です。飾らない30代の現代女性を演じられるところに小泉今日子の存在価値があると言えます。
彼女自身も自分のそうした得手な部分を知悉しているのではないでしょうか。これまでのドラマや映画でも、彼女自身が果敢に役に向かっていくというよりは、役柄のほうが演技の幅の狭い彼女にぴたりと添い合わせるかのようであった印象を私は持っています。
「センセイの鞄」の月子も、大きな年齢差を越えた男女の愛と聞けば、世間一般からは奇異の目で見られる関係でしかないかもしれません。しかし小泉今日子という女優が月子を演じるからこそ、それは不思議と《規格外の人生》としては立ち現れてきません。あなたの住み慣れた街のすぐそこの角を曲がると出くわすかもしれない、それほど些細な日常といった印象が、月子とセンセイとの間にあるように思えるのです。
そして、そんな関係を淡々と描きながら、物語のラストでは月子の感情表現は突如として大きな転調を見せます。心の奥底に抑えつけていた感情が一気に絞り出されるその短時間のシーンは、見る者の胸を鷲づかんで激しく揺さぶります。
なかなかあなどれない秀作ドラマです。
孤独のグルメ (扶桑社文庫)
個人で雑貨輸入を営んでいる主人公が、仕事の合間に食事をする、そのときのエピソードを語ったものだ。
いわゆるグルメ漫画の多くは、口の中に味が想像できない料理や描写が多い中、『孤独のグルメ』は全18話全てが我々が普段口にするような食材を題材とした「日常性」を基に話が進んでいる。
例えば第1話では、主人公は、山谷まで仕事できたが、全くアテがはずれ、雨が降る中仕方なく一軒の食堂へ向かう。居心地の悪さを感じながら、主人公は店内や客層、注文表を観察しながら注文を出す。
「みんな帽子を被っているのはなぜだろう?」「持ち帰り! そういうのもあるのか」「うーん…ぶた肉ととん汁がダブってしまった」
この一連の街の様子、店内の客の姿、自分がその店をたずねたときの事情や精神状態の描写が、他のグルメ漫画にはない、食事の日常性が生まれている。実際この漫画を見て、「一度はそれを食べてみたい」と思わせる表現力とシンプルさがすごい。
センセイの鞄 [DVD]
川上弘美の原作を、主演:沢田研二・坂井真紀、演出:久世光彦、音楽:cobaで音楽劇に。
作中で引用されるのが伊良子清白から萩原朔太郎になっていたり、センセイが朗らかなキャラクターになっていたりと、浮き世離れした場面を除けて「老境に差し掛かった男と若くない女」の恋物語に焦点を合わせている印象。
個人的には、無礼な若い男のピアスを盗る場面や、ふと意地悪になるセンセイも見たかったのですが。
しかしツキコとセンセイの話に主軸が置かれているからこそ、あの切ないラストシーンがある。
また久世氏らしいコメディ要素も随所にあり、全体がほんのりとあたたかい(それは昭和の香りだろうか)。音楽も当たり前のように舞台に溶け込んでいて良い。
時折取り出して愉しみたいDVD。
神様 2011
神様2011という本は、川上弘美のデビュー作である「神様」と、福島原発事故の返答としての小説「神様2011」が入ったものである。合わせ鏡のような物語の二つから成り立っている。「神様」の方は、くまが押し込められた野生をいなしながら「わたし」と日常を送る物語だ。「神様」(中公文庫)の方に「あのこと」に遭遇しなかった続きの短編「草上の昼食」が収められている。「草上の昼食」は、水が合う、肌が合う、そんな理性では統御できないからだの感覚を鋭く捉えている。
そして、「神様2011」である。「神様」のテクストに福島原発事故が挿入されている。読んでいると、今まであった日常にそぐわない単語に出くわすのである。散歩をすること、食べること、抱擁すること、すべてが物々しいものへと変わってしまった。
帯にも書かれているあとがきの文章「原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりもむしろ、日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ、という大きな驚きの気持ちをこめて書きました」を何度も読み返してしまう。
見ないふり知らないふりの黙ったままでいたことの結果の重さを考える。考えて、どうすればいい。
曾根崎心中
心から愛し合った男女の、美しい最期までを、流れるような文体と美しい情景描写で語っていく。
ハードカバーでうすい本なので、読むのにそこまで時間がかからないが、ぐいぐい惹きつけられて、
読んだ後は放心し、涙が出た。
舞台は江戸時代の遊郭で、現代ではうかがい知れない非常に興味深い場所が細かに描かれており、
当時の遊郭独特の言葉もちらほら使われていて、それがよいエッセンスとなっている。
遊郭の描写もあるものの、女性目線から描かれているので、直接的すぎる描写は少なく、うつくしい。
本当の恋とは何なのか、本当に人を愛するとどうなるのか、そういことが、ぬきさしならない状況とともに
描かれていく。
普通の市井で出会っていた男女なら、現代に出会っていた男女なら、相思相愛の幸せな結婚をしたかもしれない。
でもこいういう悲劇の物語は、本当にうつくしいし、忘れられない。