ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈下〉 (新潮文庫)
「日本政府、いつも泥棒です。国民の人、可哀そう。戦争、よくないです。……きっと、、負けます。きっとです。そしたら、日本、もっともっと可哀そう」 日本を売った男。平和を希求した正義の士。ソ連救国の英雄。ゾルゲをめぐる評価は時代により、立場によりさまざまである。しかしこの『ゾルゲ 引き裂かれたスパイ』が描き出すゾルゲ像は、そんな単純なステレオタイプ的なゾルゲではない。著者はゾルゲが親しかった人々、ことに愛人だったエタという女性や花子の証言から、彼の真に人間的、内面的な部分を探っていくのだ。 この本はゾルゲを責めもしないし、讃えもしない。それゆえゾルゲという人間のおもしろさ、奇妙な魅力がまっすぐに伝わってくる。なぜいまだにこの男がわれわれにとって忘れがたいのかよくわかるだろう。解説でゾルゲ映画を撮った篠田正浩監督が「ステファン・ツヴァイクの『ジョゼフ・フーシェ』を連想させた」と書いているのも、少々ほめすぎかもしれないが的を得たコメントである。
ウェルカム トゥ パールハーバー(上) (角川文庫)
今まで知っていた歴史に、こんな隠された事実があったとは…
日本人として、胸のつかえが取れた感のある作品でした。
かなりの長編ですが、作者の世界にどんどん引き込まれ
一気に読んでしまいました。
とても興味深い、とても面白い作品です。
ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈上〉 (新潮文庫)
重光葵の『昭和の動乱』を読んで、改めてゾルゲの仕事の大きさを知り、最新のルポルタージュと言うことでこの著作を手にしてみた。
たいへんこなれた訳で、原書が英国人の筆になることをつい忘れてしまい、日本人作家の書いた小説かと錯覚したほどである。訳者もゾルゲ研究家ということで、なるほど当を得た起用である。
ゾルゲであるが、戦中とそれに続く冷戦下では恐怖の共産スパイであったはずが、本書ではその弱みも含めて小説風に人間味豊かに描かれていて、同情的でさえある。重光の著作では日本が北進策を捨ててあえてアメリカと正面衝突するような南進に転換したのを、まるでゾルゲと尾崎秀実の陰謀のように著していたが、本書によれば日本政府は最初から北進は少数意見で、モスクワの陥落があれば北進し、あえて不毛のシベリアに火中の栗を拾おうとはしない「熟柿作戦」が採られていたことがわかる。戦略としてもこちらのほうがはるかに合理的だ。
この一事をもってしても、重光の著作の信憑性がぐらつく。しかもゾルゲの功績は、ドイツのソ連侵攻と、日本軍の南進方針決定をソ連に通知した点にある。重光が指摘するような対日陰謀は、さしあたり見あたらないし、ゾルゲ・尾崎の立場からは不可能だろう。
スターリンの当初の大失策にもかかわらず、日本軍侵攻のおそれがなくなったソ連はシベリア極東軍を西に大移動することができて、対独戦に勝利を得ることができたわけで、ソ連にとってその功績はきわめて大きいと言えるだろう。
このようなゾルゲと尾崎秀実の活動をもって、日中戦争と南進をコミンテルンの陰謀とする見方があるが、こんな女たらしの酔っぱらいや、その素人手下たちに、それほど壮大でりっぱな陰謀が立案実行できるものでもないだろう。空想としてはおもしろいが、結果論にすぎないと思える。夜郎自大な日本軍の性格形成はコミンテルンの陰謀によるというのと、同じ程度の説得力だ。
ウェルカム トゥ パールハーバー(下) (角川文庫)
日米開戦の裏話はかなり明らかにされているので、大筋では目新しさはないかもしれない。しかし西木作品に共通する人に対する愛情や人生の哀感が、あちらこちらに出てきて思わずのめりこんでしまう。そして、江崎大尉や天城大佐、はたまたリューバなる人物が実在したのか、それともモデルがあるのか想像をかきたてられる。上下巻合わせて1100ページを超える大作にも拘わらずすらすら読めてしますのは筆者の筆力。今年68歳になる人とは思えないエネルギーを感じる。ドキュメンタリーが好きでそこに人間に対する愛や悲しみを感じたい方には是非お勧めします。
さすらいの舞姫 北の闇に消えた伝説のバレリーナ・崔承喜
崔承喜の生涯はドラマチックでノンフィクションの題材として申し分がない。
バレーの才能に恵まれ、十代で内地(日本本土)にわたり、日本はもとよりヨーロッパ、アメリカでも好評を博し、ピカソやジャン・コクトー、川端康成等多くの文化人にも支持された。一方、夫がコミュニストであったことから戦後は北朝鮮に渡り、政局の闇に消えていった。
時代背景も丹念に調べられており、決して解説調ではなく、会話調の臨場感ある文体で話が進められるので、当時の半島の人々の対日感情(反日感情)の程度とその変化の様が(日本人が書いているので一面的である可能性は否めないが)市井のレベルでよく表現されている。
難点は2点。文章が上手く立て板に水の如く話が進んでいくのだが、これだけドラマチックな人生であれば、もう少し濃淡や劇的さがほしいところ。もう一つはバレーについて。才能なのか努力なのか?モダンバレーの創作に対する苦労は?専門的(技術的・芸術的)にはどのように評価されていたのか?こうした疑問には意に介する気配もなく、バレーについての描写が表面的であることが残念だ。