声明
声明(CD)
高野山金剛峰寺僧侶(奥の院、7/21/1993)
財団法人、ビクター伝統文化振興財団によるこのCDは四智梵語、心略梵語、不動梵語、唱礼、勧請、五大願、理趣経の全7曲の声明からなっている。これらの読経の意味は全く分からずとも、どれを聞いても深山幽谷に響くように心に深く共鳴する。
まだ見ぬ国、高野山奥の院の佇まいはかくもありなんと想像しながら聞いていると、1200年以上も前の弘法大師空海の面影が彷彿としてきて、とくに若い頃の紗門(修行僧)としての空海の悩み、苦悩、努力などが忍ばれる。現代に学問を心掛ける学徒たちにも勇気と力を与えてくれるだろう。
そうでなくとも声明は美しい独特のリズムやメロデイー、ハーモニーを持つ音楽そのものであり、腹の底から飛び出る声は聞いている者の身体を突き抜ける。これほど癒し効果のある音源は他にあるのだろうか・・・
抱き桜 (小学館文庫)
和歌山という、20年ほど前、「近畿のおまけ」とまで歌われたマイナー都市が舞台の小説である。
時代は昭和30年。
もちろん、私もまだ生まれてはいない。
しかし、その時代感が、まるでにおいつきの映像でも見ているように、訴えかけてくる筆力に圧倒される。
そして、そこには、古きよき日本人がいる。
感動というと大げさだが、静かに胸に染み入るそんな小説である。
こういう小説にはめずらしく、徹夜した。
出来れば、誰かが映像化してくれることを祈っている。
大和上市の桜はきれいだろうなぁ。
お薦めは、やっぱり、当時のことを知っている五十代以上の人ということになるが、
子供が主人公である点で、小学生にもお薦めである。
案外、来年の、奈良や和歌山の私立中学の国語問題にひょっこり出ていそうな気がする。
ひとは化けもん われも化けもん
「好色一代男」などを書き、日本文学史上天才と名高い井原西鶴。しかし、「好色一代男」以外の作品は、西鶴でない何者かの筆によるものであるという、贋作説がある。その説の謎解きを試みているのがこの作品!!
いつもへらへらとしてあか~ん性格ながら、出世欲は人一倍の西鶴。当時隆盛を極めていた俳諧の世界で名を目標に、同時代の俳人・芭蕉にライバル意識を燃やし、「風雅」の俳句などなんだ! 大事なのは人の心、わしは人の間に吹く風「風俗」を表現してみせるのだと、懸命だった。しかし思うように作品は認められず、あげくにはあいつの俳句は色モノだなどとコケにされる始末。生活の金にすら困った彼は、ある版元に当面の生活費を用立ててもらう代わりに、当時流行の草紙を書くことを約束させられる。「草紙がなんだ! わしは芸術を志しているんだ、俳諧の世界で名をあげるのだ」と息巻く西鶴は、女子供の読む草紙など、決して書こうとしない。しかし、俳諧の弟子である団水なる人物が急接近し、嫌がる西鶴に無理矢理草紙を書かせるよう仕向けてきた。その団水の意図やいかに??
その知名度のわりに、私生活はほとんど知られていない江戸の天才・井原西鶴その人の人生と、周辺の人々との関わりを、味のある大阪弁で、スリル有り、笑い有り、涙有りで描かれています。
歴史ミステリーとしても、人情小説をしても、充分に堪能できる一冊です!