オリジナル・サウンドトラック「ミリオンダラー・ベイビー」
今でも映像があふれ出す気がする。あの光景が体の中に流れてくるかのようだ。イーストウッドは名監督、名優であるだけでなく、ジャズ・ピアニストでもあり、その音楽好きは有名だが、自身の音楽のセンスの良さも際立つ。レニー・ニーハウスとのコンビも相変わらずいい。その存在はイーストウッドの映画の美術担当のヘンリー・バムステッドにも引けを取らない。今回はジャズについてはあれこれ語りません。その必要はないですから。じっくりと堪能して欲しい。「ミリオンダラー・ベイビー」を見た者はきっと忘れない。あなたがあれ程の映画を撮ってくれたことを感謝します。 何か強烈な決意を感じさせる彼の表情は今まで撮ってきた映画を物語っている。ここ数年は特に凄い。何が彼をそうさせるのか、私たちは彼の映画を見てその答えを少しでも導き出せるのか。文句なしの5つ星です。やられました。参りました。レビューを書くときは眼鏡をフランキーのものにします。これなら壊れませんから(既に眼鏡が壊れた後ですから)。物語を思い浮かべながら、私はこれからもこの曲を聴き続けるのだろう。あの映画を見た人たちと分かち合いたい。
映画で学ぶおしゃれな英語―「タイタニック」から「ミリオンダラー・ベイビー」まで
映画を観て泣いたり笑ったり、感性に新しい刺激を与えることは心の健康として必要だと思います。
また、日本語では表現できないネイティブな英語にはすてきな表現が隠されています。以前、映画館で観たときに俳優がしゃべっていたセリフが、この本を読んで“あぁ、そういうお洒落なことを言っていたのか!”と再発見させられ、ビデオやさんに走らされました。もちろん言語は英語で。
ただ私は白黒の古い映画も好きなので、著者の次の企画に期待します。
ミリオンダラー・ベイビー 3-Disc アワード・エディション [DVD]
参りました。久々に相当な期待をもって映画を見に行きました。そして、まったくその期待を裏切られず、いえ、はるかに期待を超えて感動させられ、しばらく、人にどう話していいものやら分からないくらいでした。まず、クリント・イーストウッドがゲーリック語の勉強をするシーン。イエーツの詩を朗読するシーン。レモンパイを食べて、ため息をもらすシーン。肩を落として病院を去るシーン。モーガン・フリーマンの演じる親友に向かって悪態をつくシーン。どれもこれも、思い出すだけで涙が出ます。
ヒラリー・スワンクは「Boys Don't Cry」以来の体当たりの生き生きとした演技を見せ、こちらも素晴らしかったです。親の愛情に飢えた娘であり、人生に諦めをつけずに一途に努力する女の子であり、リングに上がると誰が何と言おうとKOだけしか考えない単細胞なファイターであり、人生の終わらせ方を知っている哲学者でもあります。
エンディング・タイトルを見ていて知ったのですが、音楽の担当もクリント・イーストウッド。DVDが出るのを待ちわびる他ないです。映像と文学と音楽と、彼がなぜこのような芸術家にまでなってしまったのか、興味が湧きます。ゲーリック語にも興味が湧きます。素晴らしい映画です。
Million Dollar Baby
映画本編はアカデミー賞作品賞をはじめとして4部門受賞で、内容については説明不要だろう。音楽もクリント・イーストウッドが制作しており驚嘆に値する。あのメインテーマの美しい響きに身をゆだねるとき、美しくそして切ないこの映画と一体になれる気がする。
このようなすばらしいサウンドトラックが国内版の半額以下で入手できるのだから、映画に感動したすべての人が購入すべきだろう。
ミリオンダラー・ベイビー [DVD]
スクラップが時おり見せる静かなユーモア。そして、純粋なデンジャー君の存在もポジティブで、サイドストーリーのようなアクセントになっている。もちろん、映画の中心になるのは、女性ボクシングチャンプをめざすマギーのファイトシーンとフランキーとマギーの擬似父娘関係です。娘と音信不通のフランキーは、マギーという娘を得、父親を亡くし、身勝手な家族を持つマギーも、フランキーの中に自分の父の姿を重ね合わせる。そこに流れる愛情は、本物の家族よりも強い。フランクはマギーに、ゲール語(アイルランド語)の「モ・クシュラ」というリングネーム(?)を贈ります。その意味は映画の最後に明かされますが、この言葉の意味が分かった時、フランキーのマギーに対する気持ちが理解でき、ラストが意味深いものになります。
モーガン・フリーマンがアカデミー助演男優賞を獲っていますが、彼の演じるスクラップの存在は大きい。フランキーに影のように寄り添い、片時も離れようとしない。スクラップは、フランキーにとって自分の分身のような存在だ。人づきあいのあまりよくないフランキーに代わって、周囲との緩衝材になっている。互いに直接何かを言い合うわけではない。でも、あえて言葉にせずとも、互いに気心は通じている。意地っ張りのフランキーがいずれ受け入れることを先回りして受け入れ、準備を整えるのがスクラップの役目。フランキーの「心の声」の代弁者になっている。これが映画の最後に生きてくる。