ジャージの二人 [DVD]
ゆる〜い映画なんだろうな、と想像していましたが、予想通りオフビートな空気感の「ゆる〜い感じ」でした。文字通り、力を抜くことが出来る脱力系映画の秀作ですね。
でも、映画の構成自体はスタイリッシュ(なのかな?)で、1年前の山荘と1年後の山荘、前後編のかたちでスケッチされます。父と息子の事情の変化を映し出すが、1年後はジャージの二人が、息子の妻(水野美紀)や父の娘が入りわかり、三人になって、やがて息子一人になるという感じです。
主人公の二人の親子は、なにか飄々としているように見えますが、実はそれぞれに悩み事を抱えています。父親は仕事のことや娘のこと、息子は妻の浮気。それぞれ悩みは深いように見えますが、その別荘ではホントに淡々と何もなく時間が過ぎていきます。(笑) でも、大きな出来事は起こりませんが、「クスッ」という笑いが随所にあり、細かい出来事
が次々と起こるので眠くはないですよ。
タイトルにあるように、その別荘では親子二人は小学校や中学校で着ていたようなジャージ姿で過ごしています。ジャージ姿というのは、だらしない格好の代名詞のようにも思えます。けれど、考えてみるとそれはとても自由で開けっぴろげな格好なのかもしれません。
「アフタースクール」「クライマーズ・ハイ」そして「篤姫」と、最近活躍している堺雅人が、ここでもいい味だしていました。「なんか、その」と曖昧モコとした口ぶりで、「チョコみたいなものが食べたい」とか、ひょうひょうと演じている鮎川誠の脱世俗ぶりが良かった。
ラストで明かされるジャージの校章名“かのうしょう”の謎も「クスッ」と笑えた。
季刊 真夜中 No.15 2011 Early Winter 特集:物語とデザイン
ひと味違う季刊の文芸誌。ナンバー15ということだが、創刊以来、欠かさず購入している。毎回、特集に工夫を凝らしているのが特長だけど、今回は、物語とデザイン。サブタイトルは「創作・明日の絵本」。
もともとデザインにはこだわりのあるこの雑誌だけど、今回は特にそう。絵本(というか絵のある物語)がいくつか収録されているが、その中でももっとも良かったのが、祖父江慎の「ピノッキオ」。知らない人はいない「ピノッキオ」だけど、今回収録されている物語は、最初に書かれたものだそうで、私が知っている人情味あふれるストーリーとは違うとてもブラックなピノッキオ。まさに大人の絵本。絵もそんなブラックなピノッキオにふさわしい。
そのほかでは、長島有里枝と内田也哉子の「子供の絵本、私の絵本」が良かった。子供にも大人にも読ませたい絵本の数々を写真と対談で紹介している。
次号はリニューアルに向けて休刊ということだが、リニューアル後も期待したい。
いろんな気持ちが本当の気持ち (ちくま文庫)
弟子が欲しくて、名前はもう「ポンポン板井」(幼児語の
「腹が痛い」にかけている)に決めてある、という話で始
まるエッセイ集。
ギャラリーの先客の美人に片思いして妄想し、自ら「キモ
ーい」と突っ込みを入れたり、映画・歌人・漫画等もアン
テナにひっかかったものを紹介。
作者は優れた感覚を駆使して書く天才肌の人なのだろうと
感じていたが、それを活かすためにかなりロジカルに技法
を捉えていることもわかった。
「気持ちは多様なのに(同時に相反することを感じている
のに)態度は一種類しか選べなかったりする」と書く角田
光代の技法分析にからむ一篇には膝を打った(もちろん比
喩として)。
作者は「皆も弟子の名ぐらい考えておいたほうがいい」な
どと言うので、それではと考えてみたがろくなのものが浮
かばなかった(ワンダ古田とか)。
その提案に、作者の父も絶妙の弟子名を挙げるのだが(こ
れは本書を読んでのお楽しみ)、その場で考えたとしたら
本当に才能豊かでうらやましい。
キネマ旬報 2008年 11/15号 [雑誌]
この「キネマ旬報2008年11/15号」の冒頭特集が俳優堺雅人について本人のロングインタビューや俳優堺雅人のこれまでの映画中心のお仕事を振り返ったり堺雅人とこれまで一緒に仕事をした監督さん達から見た俳優堺雅人に関する考えや「ジャージの二人」の原作者
長嶋有さんとの同年代対談などが掲載されています。特に堺雅人本人が語るロングインタビューはあまり他の映画雑誌などでも語られない内容だと思うので貴重だと思います。この号は「新選組!」や「篤姫」の大河ドラマやTVドラマ「ヒミツの花園」や「孤独の賭け」、「官僚たちの夏」だけではない俳優堺雅人を知ることが出来る一冊だと思います。
猛スピードで母は (文春文庫)
幼いころ、私は母が誇らしかった。娘がいうのもおかしな話だが、母は美人の部類に入るし、田舎にしてはセンスがよかった。しかし、あのときの母も“女”だったのだろうか、ということは子供としては今なお考えにくい。本作の主人公、小学6年生の慎は、授業参観にきた母を見て周囲を周囲の友人が「かっこいい」と口々に評するのをみて戸惑う。慎の母親はたしかにかっこいい。女手ひとつで息子を育て、車を運転しながら、「今度、結婚する」と宣言したりする。離婚後の恋愛経験も少なくなく、“女”として生っぽく生きている。しかし、その幸せの焦点は時にぼやける。彼女自身、つかめていないのだろう。“女”という一言のなかに、セクシャルな面も母としての一面も、かよわい部分もたくましい部分も、すべてがふくまれている。どの部分を抽出して見せるのかは二の次で、まずは猛スピードで生きていかなければいけない。この物語には、女の爽快な生命力がある。