ラジオのように(紙ジャケット仕様)
冒頭の、ある日突然町に現れたサーカス団のようなイントロから引きずり込まれます。
彼女は、舞台俳優それもあらかじめ台本を与えられた役者ではなく、即興的な芝居をやっていた時代があったとのこと。彼女の作品に一貫する、型にはまらない、突き抜けていくような自由で自発的な作風は、こうしたライブ体験を通しての、観客との激しくもやさしい出会いによって、育まれたものであることは想像に難くありません。
そうした意味では、ブリジット・フォンテーヌという人は、あらかじめシャンソンという狭い枠では収まりきれない真に創造的なアーチストといえるでしょう。
彼女の表現者としてのまなざしは、私などアントナン・アルトーやドアーズのジム・モリソン、浅川マキに近いものを感じてしまうのです。
このアルバムでは、彼女のしなやかな歌声と演奏との、一糸乱れぬコラボレーションが特に素晴らしい。歌声とアート・アンサンブル・オブ・シカゴの演奏が、主役とバックという関係性ではなく、緻密に有機的に出会い、連動しています。
楽曲では「夏・夏」という曲が一番好きです。真夏となると、ジャニス・ジョプリンとビリー・ホリディの「サマータイム」と一緒に、必ず聴きます。これほど夏を感じさせる楽曲もないと感じています・・・。繰り返される、アレスキーの男性的な優しくも逞しい歌声が呪文のように心地よい。続くうめくようなブリジットの声が官能的で素敵です。
蛇足ですが・・・アレスキーって胸が厚くて、毛むくじゃらで、おとなしくて、きっといいやつなんだろうな。チキショー!
Comme a La Radio
かっこいいです。popsというより、シャンソンっぽいような気もしますが、自分自身こうゆう感じの曲ははじめて聞きました。少し寂しいようで、力強く歌っています。意味も情もかなり深いです。決して優しくない音で、彼女の世界に引きずり込んで行きます。とにかくクールです。聞いてみてください。
ブリジットIII(紙ジャケット仕様)
フランス印象派の音楽は、現代の多くのミュージシャンに大きな影を落としていると思うが、現代において、ことロックやジャズの分野では、フランスは(英米に較べると)後進国に甘んじていると思う。
そんな中、このブリジット・フォンテーヌという人は、唯一無二の、レッテル貼り不可能な音楽を残し続けている。
ジャズ・ファンにはどうしても、AAOCと共演した二作目が有名だが、72年に発表された三作目である本作も、大変素晴らしい。
彼女の音楽は前衛的でわかりにくい部分もあるが、たとえば本作の「ブリジット」「家族〜はたご屋」みたいなわかりやすく美しい曲も結構残している。
メロディだけでなく、音響面でも、独特の感銘を与えてくれる。特にアレスキのパーカッションの質感は独特だ。
うまく表現できないが、サルトルやカミュなど、実存主義を産んだ国ならではの音楽、という感じだ。(彼らの思想と音楽はあまり関連が無いかもしれないが)
なお、本作にはボーナスが1曲加えられているが、それ以外にも、オリジナル・ラストの「メリー・ゴーランド」、このトラックがなぜか、2003年発売時の通常盤には、アーティストの意向では省かれていたのが、今回復活したとのこと。
オーマガトキのリイシューは、ジャケットの紙も厚く、ライナーも新規書き下ろし、対訳付きで、親切だと思う。アーティストに対する尊敬の念が高いせいだろう。
ラジオのように
ブリジット・フォンテーヌ (Brigitte Fontaine 1940年6月24日〜) は、フランスのフィニステール県モルレー生まれのアバンギャルド・ミュージック歌手。一言でアバンギャルドといっても彼女の場合、ジャズを根底にロック、フォークなど様々な音楽を融合させている。出身が欧州という前衛に理解のある土壌も有名にさせた要因といえる。アルバムは1969年の録音で邦題は 「ラジオのように」、渡欧したアート・アンサンブル・オブ・シカゴがバックを担当しこれがベストマッチした。歌詞はフランス語で何を言っているかわからないが異質な雰囲気に徐々に引き込まれていく。日本ではこのアルバムを肝要に受け入れた、多くの音楽評論でも一斉にこのアルバムを好評価したため活字好き層も拍車をかけた。現在ではウェブで多くの書き込みがあって和訳歌詞もあって参考になる。
(青木高見)
サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ
カフェ? 気取ったバー? 日常の雑事を忘れ、思いきり創作の世界に浸りたいときに聞きたい音楽集。そのときにひもとくものは、なにも、フランス文学ではなくてもいいのでは。しかし、BGMとして聞き流すにはおしい臨場感あるすばらしいプレイの数々。まさに『心が旅する』至福を味わえる。