影武者徳川家康〈中〉 (新潮文庫)
中巻は大御所として実権を手放さない二郎三郎と、兄弟暗殺などの手段で権力への野望をむき出しにした秀忠の戦いが中心です。
ここで初めてキリシタンという新勢力の存在が登場する。筆者はカトリックを非科学的で不可解な情熱を持つ教派、かたやウィリアム・アダムスに代表されるプロテスタントを現代的で開明的だといった色付けをする。そこが残念なところである。ヨーロッパ諸国のアジア進出は、カトリック教国の政策とカトリック教会の狙いとは厳密に言って異なる。日本側では一緒くたにされるが、筆者もその違いを考慮していないのが惜しいところである。
六郎とおふうの仲は、もっとドラマチックであって欲しかったのに、ラブストーリー部分に深みがなくて残念。
影武者徳川家康〈上〉 (新潮文庫)
時代小説なんてほとんど読まない私でも、怒涛のごとく読み切ってしまいました。
上・中・下巻の大作ながら、そのボリュームがまったく気になりませんでした。
実はこれが影の史実なのでは?、と思い込んでしまうほどの描写。
主人公・二郎三郎と、それを取り巻く数々の魅力的な脇役たち。
特に二郎三郎は影武者ながら、自分を含む“道々の輩”のための
ユートピアを作り上げることに心血を注ぎ、
今時の施政者ではまずありえないよなぁ、と思わず考えてしまいます。
作者が、すでに鬼籍に入ってしまったのが悔やまれます。
影武者徳川家康〈下〉 (新潮文庫)
同名の週刊少年ジャンプ掲載の漫画から、この作品にたどり着きました。
しかし、原作のほうがはるかに奥深く、もっと大勢の人に読まれるべき存在だと思います。人間の持つ知恵の凄みというものが実感できる作品です。
数奇な運命というものが、人をいかに成長させ変化させていくのか。もっといえば、立場という物が人に与える影響の大きさを知ることが出来ました。
漫画の方は、「花の慶次」にくらべて、今ひとつの感がありましたが、原作はこちらのほうが重厚です。痛快さよりも、したたかさ、しぶとさがメインになっているところが、なかなか味わい深いです。
ただ、男が男に惚れてしまうような良い男ぶりや、敵役の女々しいまでの卑劣さ、そして女たちの妖艶さは健在です。人間を描く天才、隆慶一郎氏の世界を堪能してみて下さい。
一夢庵風流記 (新潮文庫)
強者に媚びず、己を曲げない。誰より強く、誰より優しく。
天下人にすら尻を食わせる痛快ぶり。
男ならば誰もが憧れる生き様。女なら誰もが惚れる男っぷり。
それが天下無双の傾き者、前田慶次郎利益。
読んでいると「こんな面白い男が居たんだよ。」と作者:隆慶一郎氏の語りかける声が聞こえるようだ。
「一夢庵風流記」は、漫画「花の慶次」の原作でもある。
原作があって、それがマンガやアニメや映画に展開されてゆく事はしばしばあるが、ほぼ9割の確率で台無しになっている。
そして原作から入ったファン・展開された作品から入ったファンそれぞれを失望させる。
だが、この作品は違う。原作から漫画に入っても、漫画から入って原作に入っても慶次は生き生きと駆け抜ける。
それは描き手の手腕もさる事ながら、読み解き手が誰であろうと有無を言わせない慶次そのものの魅力という物が大きいのではないかなと思う。
こんな気持ちのいい男が、歴史上確かにいたという事実。
人は、世界は、面白い。
一夢庵風流記 (集英社文庫)
何度読んだのか数え切れない。
これからも繰り返し繰り返し読むであろう。
最後の一行を読み終わった途端に、また最初の一行に戻って読み始める…
そんなことをしたくなる小説だ。
果たして前田慶次郎が本当にこういう人物であったのか、真相は判らないが、
この「一夢庵風流記」の中に生きている前田慶次郎には「惚れ申した!」。
漫画の原作である。漫画のほうが登場人物、エピソード、ともに多い。
しかし、私は、この原作のほうに軍配を上げる。
著者がシナリオライターだったせいなのだろう、
目の前にその情景が鮮やかに浮かび上がる素晴らしい文章である。
画が無くとも、慶次郎は生き生きとして傾いている。