STAR☆CRAZY(紙ジャケット仕様)
本作発売当時はアイドル全盛の時代。歌謡ロックというべきミュージシャンが沢山デビューした時期でもあった。
ヴァージンVSは時代に媚びることなく、しかしそれでいて非常にポップなロックを作り出した。コズミック・サイクラーは、うる星やつらのエンディングテーマの別テイクで、とても軽快な隠れた名曲である。
架空の町 (書物の王国)
<レビュー一番槍:1>
対街萌え、対路地マニアでもいいや(笑)
お腹いっぱい。どなたが編者か知らないけれど、チョイスのセンスがありすぎる。
日本=10篇、英=4、仏=3、中国=2、米=2、以下、ペルシャ、アイルランド、アルゼンチン、ベルギー、イタリア、1篇ずつ。
時代も最古は4世紀の陶淵明から、つげ義春までと様々。
カフカとかシュルツ、エリアーデといった東欧系の小編も欲しかったところだが、適当なものがなかったんでしょう。この出版社がその辺りを漁ってないはずがない。K.ディックの『地図にない町』なんてテーマにぴったりだけど、版権の問題か。
読書の悦びが異世界へ旅立たせてくれることは言うまでもなく、その足がかりに「街」や「路地」といった空間にこだわりがある方にはぞくぞくするラインナップとなっとります。
萩原朔太郎の『猫町』と、つげの『猫町紀行』を並べてるところなんか憎い。ポオ、ダンセイニ、チェスタトン、ラヴクラフトと列挙すると、ふむふむ、と頷く人は多いでしょう。その辺りの大御所も押さえつつ、他にも様々な発見をさせてくれます。西鶴が混じっていたり、小説だけでなく、安西冬衛の詩なんかも含んでいます。個人的には、城昌幸『ママゴト』と泉鏡花『高桟敷』に出会えただけでも購入した甲斐があった。ジャン・レーというベルギーの作家も初めて知った。wiki見ると他の作品も読みたくなった。ちなみに彼の収録作の題名は、ずばり『闇の路地』
いざ、古今東西千変万化の迷宮へ。
夜中にこっそり。スタンドの灯りだけで。
稲垣足穂 [ちくま日本文学016]
童話、小説(現代モノ数篇、時代モノ一篇)、日記、エセー(評論というか思想書)が収録されており、巻末の年表を見ると稲垣足穂を「体感する」にはバランス良く編まれいることが知れた。冒頭の掌編集を読んでいると、星新一を彷彿とさせるような、さりとてハリウッド製カートゥーンを見ているようなとんとん拍子なリズム感、句読点を一切排除した文体(改行を多用している訳ではない)、月と彗星に対するフェティシズムに、時代を超越した(大正や昭和初期に執筆されたとはとても思えない)奇才を思わせたが、読み進むにつれ、私小説的要素のある作品が登場する中盤あたりから、終盤の形而上的芸術論の大爆発に至っては、小生のキャパシティーを凌駕し、鬼才の文章を目で追うのが精一杯で、佐々木マキの解説に登場する若者のように「我慢して読んだけれど、意味がわからなかった」に近い我慢読み必至であった。童話や小説では迸る思いを表現するには限界があって、単刀直入にエセーで嬉々として能弁となる印象を持った。月並みだけれど、「わからないけれど、その凄みは十二分に伝わる!」みたいな。稲垣足穂が語ると20世紀が「ブレード・ランナー」みたいな近未来に思えた。小生が生を受ける前の20世紀の幾年の間は所帯染みたところはなく、非ノスタルジックな、SF世界だったのだ。ひたすらその日に見た星座を書き連ねていく日記も後から振り返ると度肝を抜かれた。つげ義春の「夢日記」以来だな、こんなにぶっ飛んだのは。
稲垣足穂 (ちくま日本文学全集)
わたしが稲垣足穂を初めて知り、そして好きになった本です。彼の代表作で要素も強い「一千一秒物語」が収録されているので、稲垣足穂の作品を何か読んでみたいと思っている方にお薦めします。多分、好きになった人はもっと読みたくなるでしょうから。……というか、好きにならなくても彼の美学と想像力には難解さも含めて脱帽はすると思いますよ。それくらい自由奔放に並べられた言葉たち。そして、少なからず感傷もついてきます。ぜひ星空・ヒコーキ・少年愛のきらめく世界に浸ってください。
(ちなみに私は「フェヴァリット」が好きです)
イマジネーションの戦争 (コレクション 戦争×文学)
集英社から出ている「コレクション 戦争×文学」シリーズの一冊。今回は、イマジネーションの戦争と題して、おもにファンタジーやSF小説を中心に集めらている。
伊藤計劃のファンとして、『The Indifference Engine』の収録が発表されてから、すぐにこの本を読むことを決めていたが、それ以外にも芥川龍之介から星新一、安部公房、さらには秋山瑞人、山本弘まで、古いものから新しいものまで、なかなか読みごたえのある一冊になっている。
もちろん、伊藤計劃『The Indifference Engine』は好きな作品なので別格として、SF作品としても評価の高い、秋山瑞人『おれはミサイル』、山本弘『リトルガールふたたび』は読んだことがあったが、それ以外の作品は初めて読んだものが多い。
同じ戦争を題材にしながら、それぞれ個性的な作品が多かったが、このように集めて読むと、そこに共通するようなものを感じる。それは声高に、直接的に戦争批判を行うのではなく、イマジネーションの力によって、より強いメッセージを読む者に伝えているということだ。ただ、これは、今回の作品だけに言えることではなく、戦争を扱った文学全般に言えることかもしれないが...