シャムロック・ティー (海外文学セレクション)
この人の作品のおもしろいところは、話がどんどん別の方向に逸れていってしまうところだ。聖人の逸話コナン・ドイル、ホームズ、オスカー・ワイルド、ウィトゲンシュタイン、メーテルリンク、ブラウン神父等の数々のキーワードが散りばめられ、それが折かさなり波及し、相乗的に重層的に語られ物語が物語を生み出していくのである。それが眩暈にも似たおもしろさを生み出している。そして、それらの無数のエピソードを束ねるのがタイトルにもなっている『シャムロック・ティー』と神の手を持つ男と称えられたネーデルランド絵画の創始者ヤン・ファン・エイクの最高傑作「アルノルフィーニ夫妻の肖像」なのである。この謎に満ちた象徴的な絵を芯に据え、尚且つそれになんとも奇妙な『シャムロック・ティー』なるものを絡ませることによって、この作者は驚異の摩訶不思議な物語を紡いでゆくのだが、非常に興味深いことに本書の展開は大方の予想を裏切るものとなる。これだけ大上段に構えた素晴らしい仕組みを用意してあるにも関わらず、この作者はそれを多く語らないのである。これはある意味新鮮な感覚だった。脱線していくエピソードの数々がとてもおもしろいものだから、あれよあれよと読まされてしまって、気が付いたらページの残りがとても少なくなっていて最後の最後で作者の仕掛けた仕組みの歯車がよっこらしょと動き出したときにはいったいどういう着地をみせるんだとハラハラしてしまった。もう一つ言及しておきたいのが、数多く語られる聖人たちの殉教の物語である。アイルランドは生粋のカトリック教国でありまして、一年365日毎日がなんらかの聖人の祝日になっているくらいで、何かの守護をしている聖人は無数にいるのである。そんな数多い聖人の殉教の様子が色々語られるのだが、これがやはり凄惨であまりにも残酷なのである。昔の人はすごい時代を生きていたんだなぁと改めて実感した。とまあ、こんな具合に本書は本好きの心をくすぐる本であり、桜庭一樹をして「やっぱりいつかキアラン・カーソンみたいな小説の書き方をしてみたい」と憧れさせる本なのである。